プノンペン/カンボジア ~復興を遂げた「東洋のパリ」~
カンボジアにはいまだにポルポト・内戦・貧困のイメージがつきまといますが、ポルポト時代から50年近く、内戦和平協定から30年以上が経ちます。現在のカンボジア、とりわけ首都プノンペンには高層ビルが立ち並び、トンレサップ川沿いにはおしゃれなカフェ、ブランドショップなどが次々と開店しています。街は華やかさを取り戻し、悲劇を思い起こすのは負の遺産を伝える博物館くらいかもしれません。
カンボジア復興支援の主力として活躍したのは日本です。1992年に国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律 (PKO法) が成立し、同法のもと派遣された自衛隊は、荒廃した国土の修復、停戦監視、文民警察など、さまざまな分野で支援を行いました。
2022年にはPKO法成立 30周年の各種行事が執り行われ、政府関係者だけでなくビジネスパーソンからも、いく度となく日本への感謝が表明されました。また、政府開発援助 (ODA)も大きく貢献しています。その象徴のひとつとされるのが、2015年完成の「つばさ橋」で、現地通貨500リエル札にも描かれています。国内最大のメコン架橋で、カンボジア版ベイブリッジといったところでしょうか。ただ交通量の多い主要幹線道路でもあり、名所とはいえ車やオートバイを停めて記念撮影するのは危険であり、かつ渋滞の原因にもなるので控えてほしいものです。
首都圏とは対照的に、地方では過去の傷跡が色濃く残ります。東部国境にはベトナム戦争で米軍が落とした不発弾(クラスター弾の子弾)が、西部国境にはポルポト派との内戦時に使用された地雷が多数残り、日本はこれらの除去活動についても積極的に支援を続けています。先般、両国共催でウクライナ非常事態庁の専門職員をカンボジアに招待し、日本の最新技術による地雷探知の実地研修を行ったことなども話題になりました。当社もODAの枠組みで機材供与(車両)を行っており、側面支援として事業に参加しています。
課題を抱えながらも、カンボジアは高度成長路線を走り続けています。その中でさらなる発展のけん引役として、日本企業の存在は重要さを増してくると考えられます。外務省のデータによると、2022年現在の在留邦人数は3,000人を超え、またその活躍の場は、製造、サービス、小売り、金融など多岐にわたる分野に広がっています。2022年末オープンの日系大型ショッピングモール内には「SUSHI」コーナーも登場し、週末は家族連れで賑わいをみせています。
かつてプノンペンはサイゴンと同様「東洋のパリ」として、東南アジアを代表するフレンチ・コロニアルな美しい街並みで知られていました。近代的な経済都市として見事に復興を果たしましたが、これからも、日本(文化)からのよい影響も反映させながら、さらに魅力ある街に進化していってほしいと願っています。
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