マドリード/スペイン ~あなたを変える「巡礼の道」~

2022年02月17日

スペイン住友商事株式会社
パブロ・マルティネス/ドミンゴ・セルバンテス

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 ヨーロッパという概念を生み出した文化の融合や共通の精神を振り返ると、ヨーロッパの統合は主に20世紀に始まった運動だと考えてしまいがちです。しかし、ヨーロッパにおける共通認識や文化の整合性を示す例として、もっと以前に、共通概念を生み出すのに貢献したものがあります。

 

 例えば、9世紀にスペイン北西部の小さな町サンティアゴ・デ・コンポステーラでイエス・キリストの使徒ヤコブの墓が発見されたことに端を発した「エル・カミーノ・デ・サンティアゴ」(聖ヤコブの巡礼路、英語ではSt. James Way)です。この発見以来、何百万人もの巡礼者が、「免罪」すなわち罪の許しを得るためにこの墓を訪れています。

左:サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂、右:フィニステーレ岬(撮影:ドミンゴ・セルバンテス)
左:サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂、右:フィニステーレ岬(撮影:ドミンゴ・セルバンテス)

 中世初期より、ヨーロッパ各地から訪れる巡礼者のために道路などのインフラが整備され、巡礼はヨーロッパ各地をつなぐ広範な文化交流に発展し、最終的には宗教や文化、出身地を問わず、共に歩くという単純な目的のために参加し、精神の交流を図る世界的なイベントになりました。実際の目標は、目的地に到達することよりも、「巡礼の道」そのものを体験することなのです。

 

 「巡礼の道」があまりにも有名になり、多くの人々を魅了したため、最古の旅行ガイドの一つである「巡礼者の手引き」が書かれました。1140年頃、フランスの修道士エメリック・ピコーが自らの巡礼体験を書き記したもので、有名な文献「カリクストゥス写本」[*1]に収められています。これは、現在でも巡礼者の指針になるほど完成度の高いものです。12世紀、教皇カリクストゥス2世は、聖ヤコブの祝日(7月25日)が日曜日に当たる年を「聖ヤコブ年」(コンポステ―ラの聖年)と定めました。この年に聖ヤコブの墓を訪れる巡礼者には、全ての罪に許しが与えられるとされています。

 

左:プエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋)、右:巡礼路「フランス人の道」沿いの風景(撮影:ルイス・セルバンテス)
左:プエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋)、右:巡礼路「フランス人の道」沿いの風景(撮影:ルイス・セルバンテス)

 「巡礼の道」の終点はサンティアゴの町[*2]ですが、スタート地点は世界中に広がっています。道の一部は古代ローマの道路や昔の貿易ルートが利用されています。例えば、シャルルマーニュ皇帝は、道の安全性を確保するために人生と財力の大部分を費やし、巡礼の普及に大きな役割を果たしました。巡礼者の移動が増えたのは、諸王や教会、団体などがスポンサーとなって、橋や病院、宿泊所などを建設し、巡礼者の日々のニーズを満たしたからです。このように新しいインフラが整備されたことで、スペインとヨーロッパの市場を結ぶ優れた貿易ネットワークが構築されました。

 

左:「タコのガリシア風」と地元の白ワイン「アルバリーニョ」、右:聖ヤコブの象徴・ホタテの貝殻をあしらった石碑(撮影:ドミンゴ・セルバンテス)
左:「タコのガリシア風」と地元の白ワイン「アルバリーニョ」、右:聖ヤコブの象徴・ホタテの貝殻をあしらった石碑(撮影:ドミンゴ・セルバンテス)

 巡礼者たちは、その道中で飲み物や食べ物を味わうことで、巡礼の道と恋に落ちます。スペインは欧州でも有数の美食の地であり、1140年にピコ―修道士が楽しんだような、地元の伝統的な絶品料理を楽しむことができます。例えば、タコのフェイラ風(ガリシア風)やホタテの貝柱[*3]などがお勧めです。

 

 徒歩で100キロメートル以上の距離を歩いた巡礼者には、9世紀から続く伝統的な証明書である「コンポステーラ」が授与されます。2019年は347,578人がこの証明書を受領しました!

 

 パウロ・コエーリョ[*4]のような作家にインスピレーションを与えたり、1541年にチリの首都[*5]の命名に使われたり、この世界的な文化遺産から影響を受けた例は数え切れません。 同じく巡礼路である「熊野古道」(日本・和歌山)は、20年以上前に「聖ヤコブの巡礼の道」と姉妹道の関係を結びました。キリスト教と神道の信者は、それぞれ異なる方法で霊性を追究しますが、巡礼者がルートを正しくたどるためのシンボルや標識(かたやホタテ貝の貝殻、かたやヤタガラスと呼ばれる三本足のカラス)など共通した特徴があります。どちらも完歩を証明するのに十分な巡礼手帳へのスタンプを必要とし、森や滝、山や谷、そして寺院・教会など、素晴らしい自然と歴史に囲まれた奥深い田舎を通過することも共通しています。

 

左:ポンフェラーダの聖ヤコブ教会(レオン州)、中:鉄の十字架(レオン州)、右:巡礼路沿いの風景。撮影:ルイス・セルバンテス(左・中)、ホセ・マンソ(右)
左:ポンフェラーダの聖ヤコブ教会(レオン州)、中:鉄の十字架(レオン州)、右:巡礼路沿いの風景。撮影:ルイス・セルバンテス(左・中)、ホセ・マンソ(右)

 「巡礼の道」は体と心の健康の象徴であり、それは精神的な癒やしでもあります。各個人にとって「道」の意味するものは異なります。他の人と同じ道を歩いたとしても、各人がそれぞれの理由と感覚で「自分ならではの巡礼の道」を体験しているのです。道中で出会った人々とのつながりは特別なものです。努力を共にし、野外で一緒に歩き、考え、食べ、話すことで、人生の小さな断片を共有するような絆が生まれます。「巡礼の道」は、自らを自分の人生と再び調和させる助けになります。

 

 2021年は「聖ヤコブ年」でしたが、2021年のパンデミックを考慮して、フランシスコ教皇により2022年まで延長されました。「聖ヤコブ年」が2年間行われるのは、歴史上初めてのことです。この厳しいパンデミックの時代ですが、「巡礼の道」は既に何世紀にもわたってそこにあり続け、道を歩く人々が自分自身を変えるため、あるいは超越するための助けとなり、慰めになっているのです。

以上


[*1] サンティアゴ大聖堂の古文書館に保存されています。

[*2] 海辺のフィニステーレ岬を終着点とする説もあります。

[*3] ガリシア料理の中でも最も特徴的な料理のひとつで、聖ヤコブのシンボルであるホタテ貝を使ったもので、「巡礼の道」の代表的なアイコンのひとつです。

[*4] 世界的なベストセラー「コンポステーラの巡礼者」(1987年)を書いたブラジル人作家。

[*5] 当時、この町は「Santiago del Nuevo Extremo」と呼ばれていました。これは「新しい辺境のサンティアゴ」または「新世界(アメリカ)のサンティアゴ」という意味です。

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