トランプ旋風後の貿易政策 反FTA姿勢は軌道修正されるか
コラム
2016年06月21日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
労働者階級が怒りをあらわにした選挙――2016年米大統領選は歴史にかく刻まれるであろう。労働者の経済的不安に呼応する形で、有力候補が経済ナショナリズムの立場を取り、議論を反自由貿易(反FTA)にシフトさせた。環太平洋パートナーシップ(TPP)の先行きには不透明感が漂う。とはいえ、次期政権が共和党・民主党のいずれになろうとも、発足後には選挙戦で大幅にシフトした貿易政策を、オバマ政権が敷いた路線に多少なりとも軌道修正するだろうと予想される。
◆貿易政策がクローズアップ
2016年11月の大統領選の本選挙は、民主党のヒラリー・クリントン候補と共和党のドナルド・トランプ候補の対決となることが確実視され、経済、中でも特に貿易政策が争点となる可能性が濃厚だ。
ギャラップ世論調査(16年1月実施)によると、16年の大統領選の最重要課題として、共民両党の支持者がいずれも上位に挙げたのは「経済」であった。共和党支持者は「経済」を1位、「雇用」を3位に、民主党支持者は「経済」を3位、「雇用」を1位に挙げた。08年のリーマン・ショック以降、米国経済は緩やかな回復基調にある。とはいえ、実質世帯年収(中位数)は1999年以降下落傾向にあり、米国民の多くは経済回復を実感できていないようだ。米労働省労働統計局(BLS)によると、米国全体の雇用者数は過去15年間で約3,200万人増加したが、製造業雇用者数に限れば500万人の減となっている(図)。
これは、技術革新による生産性の向上、グローバリゼーションによる競争激化など、経済政策を超えたいわば時代の趨勢(すうせい)に起因したものともいえる。
トランプと、民主党予備選に参戦したバーニー・サンダースの両候補は、どちらもこうした問題の本質に迫る議論を避けているようにも見える。ともに製造業雇用の縮小の一要素に過ぎないFTAを批判し、製造業などに従事する労働者階級の「怒り」を代弁することで支持を集めているのだ。米ピュー・リサーチ・センター注1の世論調査(16年3月実施)によると、トランプ支持者の67%がFTAは米国にとって「悪い」と回答。支持基盤の多くが反FTAだ。「有権者は技術革新やグローバル化については投票で意思表示することはできないが、貿易についてならできる」。16年4月、ワシントン市内の会合で米通商代表部(USTR)マイケル・フロマン代表もそう語った。
16年の大統領選における貿易政策論争では、「FTA推進の共和党」vs「反FTAの民主党」という伝統的構図が崩壊した。そして経済ナショナリズムの高まりとともに、「ワシントン政治を牛耳りFTAを推進してきた主流派」vs「労働者階級が支持する反FTAの反主流派」という対決の構図が生じ始めたのだ。選挙戦を通じ、そうした双方の声を代弁する二つのグループが、党派を超えて形成されたとみることができる。情報通信技術や人工知能(AI)といった新たな技術が生んだ第四次産業革命の時代を迎え、省人化が進む米国製造業だが、政府による労働者向けのスキル取得支援やセーフティーネットの整備が追いついていないのが現状だ。時流に取り残された労働者がこのまま増え続ければ、米国における反FTA的機運が衰えるどころか増長していく可能性が高い。
◆大統領選では保護主義的主張が・・・・・・
ピュー・リサーチ・センターの調査(16年3月実施)では、FTAは米国にとって「良い」とする回答(51%)が「悪い」(39%)を上回った。だが輸入という側面に限ると、国民の捉え方は異なる。ブルームバーグによる世論調査(16年3月)では、「米国の雇用を守るため、輸入品に対してはより厳しい規制を導入すべき」との回答が65%にも達している。大統領選では、いずれの有力候補も反FTAの姿勢を示しているが、これは輸入の影響を受けやすい製造拠点が選挙激戦州に集中していることに起因するようだ。
ジョージタウン大学のブラッドフォード・ジェンセン教授は『国際貿易の勝者と敗者:米大統領選の投票への影響』と題する米経済研究所(NBER)の報告書(15年12月発行)の中で、大統領選で保護主義を訴えることは理にかなった戦略であると述べている。同教授は、高度技術を要する製品・サービスの輸出増が現政権党への支持率を上げ、高度技術を要しない製品の輸入増は支持率を下げる方向に働くことを明らかにしている。大統領選激戦州、6州(アイオワ、ニューハンプシャー、ノースカロライナ、オハイオ、ペンシルバニア、ウィスコンシン)には、いずれも高度技術を要しない製品の製造拠点が集中している。大統領候補が保護主義を訴えるのは、候補者らに大統領選勝利に向けたインセンティブが働くからだという。
◆クリントン政権なら最終的にはTPP成立
米テレビ局NBCの政治番組「ミート・ザ・プレス(MTP)」の司会者チャック・タッド氏は、サンダース候補はクリントン候補に予備選で負けるかもしれないが、「メッセージでは勝利した」と述べたことがある(16年3月13日放送)。それはクリントン候補の貿易政策がシフトしたことに顕著に表れている。
クリントン候補は国務長官時代、外交の軸足を中東からアジアに移すリバランス政策を取っていた。その一環でTPPを「貿易協定のゴールドスタンダード」(12年11月)と呼び、強力に推進していた。だが16年の大統領予備選では、サンダース候補の反FTA的主張に引っ張られ、15年10月に現在のTPPの内容には満足していないことを表明した。とはいえ、長年FTAを推進する立場にあったクリントン候補としては、自らが政権の座に就いた場合、将来的にはTPP支持に回ることが予想される。政権発足後、当面は他のTPP加盟国との協定文の修正を伴う再交渉は極力避けるだろう。既に交渉が妥結したTPPの崩壊リスクは避けたいと思うはずだからだ。だが、選挙戦を通じて表面化した国民の不満を解消するには、一部分野について加盟国との間でサイドレター(補足文書)を取り交わすなど、調整を行う必要が出てくるかもしれない。国内に向けては、失業者に対する補償を含む貿易調整援助(TAA)プログラムの拡充などで反対派を懐柔し、TPP施行法成立を目指すものと予想される。
◆トランプ政権ならTPPの先行き不透明
共和党予備選で先頭を走るトランプ候補の支持基盤は、反FTAを主張する白人労働者階級である。このことから、仮に同候補が大統領に就任した場合、保護主義政策を導入する可能性が高い。しかし実際にはクリントン候補と同様、政権発足後は選挙戦での強硬姿勢を軌道修正すると考えられる。トランプ候補は、中国製品全てに対し45%の関税を、メキシコ製品の多くに35%の関税をかけることを公約した。だがその後、提案した高関税は、あくまでも相手国に対する「脅し」であると発言、同候補のウェブサイト掲載の選挙公約にも含めていないことから、政権発足後に実際にそうした高関税を導入する可能性は小さいと考えられる。もちろん、小幅な関税引き上げといった保護主義政策を取る可能性はある。かつてジョージ・W・ブッシュ大統領が鉄鋼製品の輸入関税を引き上げたように、過去の共和党政権でも保護主義政策が導入されている。もっとも、同政策はEUの報復措置の動きによって元に戻されたが。
仮にトランプ政権がメキシコと中国に対し高関税を導入したとしても、それによって直ちに貿易紛争が引き起こされるとは限らない。例えばメキシコ製品に対して35%の関税が導入された場合、メキシコ政府は北米自由貿易協定(NAFTA)紛争解決パネルに提訴するなど貿易協定を通じ解決を試みるであろう。過去にも、NAFTAが認めるメキシコのトラックの米国乗り入れを米国が規制した際、メキシコ政府は直ちに報復関税を発動するのではなく、まずはNAFTA紛争解決パネルに提訴している。また、中国製品に対して45%の関税が適用された場合も、中国政府は報復関税を導入する前に、WTOに提訴するなどの措置をとると想定される。
選挙戦ではTPPの再交渉を主張しているトランプ候補だが、他のTPP加盟国は再交渉の可能性を否定しており、12カ国が長時間の交渉の末に合意した協定文を再び改定することは非常に困難だ。従って、「トランプ政権」としては公約通りTPP再交渉に挑むだろうが、協定文ではなくサイドレターなどで妥協して発効に至るか、再交渉が頓挫してTPPが長期間にわたって発効されないといったシナリオも考えられる。
◆政権発足後は自由貿易へ軌道修正
8年前の大統領選で、当時のオバマ候補はNAFTAを「大失策」と呼び再交渉を公約していた。しかし大統領就任後、オバマ大統領はFTA推進派のロン・カーク氏をUSTR代表に任命。政権発足から3カ月後にはNAFTA加盟国のメキシコとの再交渉は不要であるとの立場を取るに至る。また、韓国・コロンビア・パナマとのFTAは部分的に再交渉したものの、いずれも発効に向けて動いた。こうした経緯を踏まえ、大統領選で反FTA政策を打ち出した各候補も、いざ政権の座に就けば、その姿勢を変化させる公算が大きい。
「なぜ大統領と議会は貿易について争うのか」と題するブルッキングス研究所の分析記事(15年5月12日付)には、米政権は、ほとんどの場合自由貿易を好ましいと捉え、「大統領は貿易拡大により国が受けられる経済効果を考慮し、貿易協定を通じての二国間関係改善や世界における米国の立ち位置を高めようとする」とある。「TPPの調整費用と所得分配への影響」と題するピーターソン国際経済研究所の報告書(16年3月発行)の試算によると、17~26年の期間でTPP発効に伴って必然的に発生する失業者および労働者の賃金低下に対する補償費用は、TPP発効による経済的メリットのわずか6%程度だという。選挙区事情を優先的に考える議会議員とは異なり、一国のリーダーとして国全体の経済を考慮する大統領としては、便益が補償費用を大幅に上回るなら、合理的な判断として、当然TPP発効を選ぶのではないだろうか。
スタンフォード大学のマイケル・トムズ教授は次のように述べている。「ほとんどの有権者は、保護主義貿易がもたらす効果を理解していない。われわれが自由貿易の従来から言われている利点を紹介しただけで、保護主義への支持は大幅に低下した。経済について学べば国民の態度は変わる。自由貿易による恩恵を教えることで、自由貿易に対する支持へとつなげていける」注2と。
大統領選が進めば、反FTA的意見はより目立ってくるだろう。だが次期大統領は就任後、経済顧問からの助言を受け、国民に自由貿易の米国経済全体へのメリットを訴え、支持を拡大させる必要に迫られるだろう。
歴史的にみて、米大統領は就任後にはおおむねFTAを推進する立場に立ってきた。労働者階級の怒りを受けた反FTA的貿易政策論議も、次期政権でいずれ軌道修正されることになろう。だがTPPについては、何らかの後遺症が残るかもしれない。仮にレームダック会期(選挙後の現政権の残り任期の間)にTPP施行法案が議会承認されなければ、承認には時間を要する可能性がある。上院の過半数を民主党が制した場合、あるいは米経済が今後悪化した場合、さらに難しさを増すだろう。だが、「米国を再び偉大に」と訴えるトランプ候補がもし次期大統領になり、技術革新やグローバル化に抵抗し、保護主義政策で国内産業を守ろうと試みたとしても、早晩、米国経済の弱体化を招くだけだと認識することになるであろう。より偉大な国を目指すには、FTA推進で成長産業を国際競争にさらすとともに、それに見合った人材育成の強化が米政権には求められよう。
注1:米国および世界の人々の問題意識や意見、傾向に関する情報を調査・分析する米シンクタンク。
注2:Michael Tomz, "Why Don't Trade Preferences Reflect Economic Self-Interest?", Stanford University, May 2015.
日本貿易振興機構(ジェトロ)出版 『ジェトロセンサー』2016年7月号 30~32ページ掲載
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