ワシントンからの緊急報告 ~トランプ新政権の通商政策を占う~
コラム
2017年02月17日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
トランプ大統領の政策は、こと貿易に関する限り、その重商主義的な「ゼロサム思想」には一貫性がみられる。前政権の自由貿易協定(FTA)を批判することでラストベルト地域の白人労働者からの高い支持を集め誕生したトランプ政権下では、輸出促進、および不公正貿易に対する取り締まりがさらに強化される見通しだ。トランプ政権の方向性はまだ不明なことが多い。そこで当地ワシントンで収集した各種情報を基に新政権の通商政策の行方について予測を試みる。
◆貿易政策の基調は重商主義
「トランプ大統領は通商というものを、ニューヨークの不動産業と同じ勝ち負けの世界だと考えている」。ウォール・ストリート・ジャーナル紙のグレッグ・イップ経済担当チーフコメンテーターはこう断じた。つまり、これまで米国は自国にとって不利な貿易協定を締結してきた結果、貿易赤字が拡大したため、"米国は負けている"とトランプ大統領は捉えているというわけだ。貿易協定の再交渉を経て輸出を拡大する一方で、自国産業を保護し、輸入を減らして貿易赤字を削減(あるいは貿易黒字を拡大)することが国益となるといったいわば重商主義的な主張は、そうした認識に基づいている。
◆議会共和党主流派の出方は?
2016 年12 月、ワシントンDC 市内の講演会にて、下院ベンガジ事件調査委員会の委員長を務めた共和党のトレイ・ガウディ下院議員は、自らの政党出身の大統領であっても議会は影響力の行使を躊躇(ちゅうちょ)しない姿勢を示した。「立法府はもともと、司法・立法・行政の三権の中で最も強力になるようにデザインされ、実際そのような時期もあった。だが今日、立法府は三権の中で最も弱い。その理由は立法府自らが(自身の権限を行使せず、大統領に)それを委ねたことにある」とは同議員の弁。
通商政策に関しても、議会はトランプ政権に影響力を及ぼすものと予想される。米国憲法第1 章第8 条によると、議会は「諸外国との通商を規制する」権限を有する。しかし、議会は長年、各種法案を可決して通商権限を行政府に委譲してきた。その一例が大統領の貿易促進権限(TPA)注1である。TPA とは本来、議会が持つ外国との通商権を大統領に委託するものだ。今日、大統領は各種通商法(表)を根拠に議会承認を得ずに政策を実行できるなど、通商政策における大統領の権力は絶大なものとなっている。これに対しピーターソン国際経済研究所(PIIE)上席研究員のゲーリー・ハフバウアー元米財務省国際貿易・投資政策副次官補はこう語る。「議会は、憲法上、通商権限は議会にあるとの前提に基づいており、大統領は通商に関わる政策について議会と協議するべきである」。
大統領が議会と協議する必要性は法的には明確となっていない。だが政治的には、議会を無視することは難しい。なぜなら、仮に通商政策で大統領が議会と協議せずに権限を越えた政策を導入したとしても、議会は閣僚などの指名承認や政府予算において大統領の意に反する行動に出ることが可能だからだ。FTA 推進派の議会共和党指導部は、大統領が米国の業界に悪影響を及ぼすほど強硬な保護主義政策を導入しようものなら、さまざまな手法で阻止するだろう。仮に保護主義を主張する民主党議員と一部共和党議員が大統領に賛同し、議会で過半数を超えたとしても、法案を動かす権限を保有するのは共和党指導部である。議会にはその意向を反映するメカニズムが備えられているのだ注2。PIIE のジェフリー・ショット上席研究員は、「税制改革、インフラ整備、医療保険制度改革(オバマケア)など、トランプ政権は通商政策以上に優先度が高い政策を多数抱え、これらの政策で議会協力を得る必要がある」と指摘する。従って、議会共和党指導部との良好な関係を築き、その他の優先課題で協力してもらうためにも、トランプ大統領は、通商政策においては強硬策は控えると予想される。保護主義に反対する下院共和党指導部は、米国企業の海外移転を防ぎ、雇用を確保するには、法人税などの減税策や国境税調整などを含む包括的税制改革こそが最善策であると政権側に働きかけるであろう。議会法案が明らかになるまでは不明だが、国境税調整は、輸出補助金としてWTO違反と判断されかねない。さらに輸入に依存する小売業界や石油精製業界にとっては増税となるため、激しい抵抗も見込まれる。それでも、下院共和党指導部は導入を試みるだろう。本来、共和党指導部は自由貿易推進派だ。しかし、トランプ政権が行政府の権限で強硬な保護主義政策を発動する前に議会案に代替することで、政府が無謀な政策に走ることを阻止したいと考える可能性は高い。共和党の長年の重点政策である、大幅な法人税減税を歳入中立的な方法で実現するためには、国境税調整の導入は有用ではある。このように、トランプ大統領が過激な保護主義政策を導入しようとしても、議会が抑制機能を果たすのではないかとみられる。
◆強硬姿勢はトランプ流の交渉術
トランプ政権は就任当日「米国第一主義」を掲げ、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定からの離脱、北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉を発表。保護主義政策に傾斜する姿勢を示した。しかし、前出のショット氏は、「トランプ大統領の交渉術はニューヨークの不動産業におけるビジネス慣習である"挑発による交渉(Negotiation by Provocation)"であり、あくまでも交渉で有利な立場を確保する意図がある」と分析する。ウィルバー・ロス商務長官候補注3の言葉から、閣僚も強硬な保護主義政策導入について否定的に捉えているようだ。トランプ氏が選挙戦で中国製品に対し高関税を導入すると訴えたことについて同長官候補は、「(米国政府が)関税を導入するといった話は一つの交渉手段である」と述べた(CNBC、16年11月30日放送)。17年1月の指名承認公聴会で同長官候補は、貿易赤字削減のためには、高関税による輸入縮小といった強硬手段ではなく輸出拡大を図ることの方が重要であるといった方針を示した。
そもそもロス長官候補は、16年5月にブルームバーグテレビでTPP支持を表明したことがある。副大統領をはじめ他の閣僚級ポストにも、もともとTPPを支持していた人物が多い。米国はTPP交渉にいずれ戻るであろうといった希望的観測や、日米など2国間FTAに進むといった臆測が飛び交う所以(ゆえん)もここにある。またトランプ大統領は、NAFTA再交渉の際には離脱カードをちらつかせるだろうが、米国輸出業界に恩恵をもたらす内容を目指して交渉妥結を図るものと見られる。例えば、TPPで交渉済みの環境や労働、知的財産、デジタル貿易といった通商政策の近代化を図ることに加え、原産地規則の強化や紛争処理パネルの見直しなどの分野でNAFTAの再交渉が予想されている。だがワシントンのある通商専門家は、「米国がNAFTA再交渉により勝ち取れるのは、相手国側の譲歩によるわずかな改定にとどまるだろう」と予想している。
◆最大リスクは通商法の執行強化
トランプ政権の通商政策における最悪のシナリオは、強硬路線を貫くことによってNAFTA交渉が頓挫し同協定から米国が離脱、また中国に対し大幅に関税を引き上げて貿易戦争が始まり、WTO離脱を招く事態に陥ること。一方、最善のシナリオは、議会共和党主流派や産業界からの圧力を受け、米国が戦後推進してきた自由貿易主義が継続されること――NAFTA再交渉はTPPでメキシコ、カナダ両国と合意した内容程度にとどまり、安全保障そして輸出先としてアジア太平洋市場の重要性をトランプ大統領が認識し、数年後にはTPP諸国との再交渉を決断することだ。だが、最も可能性が高いシナリオはその中間点にあろう。ピーター・ナバロ国家通商会議(NTC)委員長は通商で対中強硬策を主張するが、ロス商務長官候補はビジネス経験から現実路線を選択するであろう。また、ロバート・ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表候補は対中強硬派で知られるも、通商政策そして通商法の知識や経験から、報復措置などで米国に悪影響を及ぼすような過激な保護主義政策の導入は、政権内で阻止すると予想する向きもある。政権発足後、トランプ政権はまずTPP離脱とNAFTA再交渉を発表し、有権者に公約実行をアピールした。しかし、交渉には準備が必要である。早期に再交渉を開始することは難しい。その上、米国民がその"恩恵"を享受するまでには時間も要する。従って、トランプ大統領としては、容易に取り組むことができる通商法の執行強化を通じて、有権者にオバマ政権との違いをアピールする可能性が高い。
通商法の執行強化は、これまでも多くの大統領が取り組んできた。オバマ前政権も例外ではなかった。民主党議員の下で通商政策を策定していた議会スタッフによると、「オバマ政権でも、発足直後は通商法の執行を強化する動きがみられた。しかし、09年末に米国がTPP交渉への参加を議会に通告したころから、メディア報道の焦点はTPPにシフトしてしまった」という。特にラストベルト地域の製造業や鉄鋼業などを支援するため、トランプ政権では関連業界からの貿易救済措置の提訴を歓迎し、米業界を保護するために政治的圧力を強める可能性がある注1。通商法の執行強化については、反ダンピング関税・相殺関税、通商法201条(セーフガード)、通商法337条など、さまざまな方法が想定される。また、ロス商務長官候補は16年1月の上院指名承認公聴会で、新政権の下では、業界からの申し立てがなくても商務省自らの判断で不公正貿易の案件を見つけ、審査を開始すると述べている。鉄鋼をはじめ、米国が保護主義的な動きをみせる産業部門で米国向け輸出を行う企業は、上記のような、不公正貿易慣行に対するトランプ政権の通商法の執行強化策を注視する必要があるだろう。
貿易赤字削減を推進するトランプ政権だが、景気刺激策によるインフレ率上昇、それによる金利高、ドル高で輸出競争力が減退し、貿易赤字への圧力が拡大することは避けられないだろう。保護主義政策では貿易赤字は解消しないため、トランプ政権はドル安政策を推進する可能性がある。例えば、ジョンソン、ニクソン、レーガンなど過去の大統領が行ったように、同政権もその対策として政治的圧力をかけて「米連邦準備制度理事会(FRB)の政策金利引き下げを促す可能性もある」とイップ氏は指摘する。また、オバマ政権で米大統領通商政策・交渉諮問委員を勤めたバーグステンPIIE名誉所長も、同政権はドル高に歯止めをかけるため、『プラザ合意』のように貿易相手国と交渉する可能性すらあると指摘する。だが、それらは容易ではない。結局のところ、議会共和党の合意も得やすい国境税調整などを含む包括的税制改革に加え、不公正貿易慣行に対する通商法の執行強化に行き着くと予想される。
16年12月、元米国通商代表のロブ・ポートマン上院議員(共和党)が政策の助言にトランプタワーを訪れた。ラストベルト地域の大統領選激戦地オハイオ州において、16年上院選で反FTAの民主党候補と戦って再選したポートマン議員は、「大半の民意を反映した通商政策の必勝法は、輸出拡大の推進と不公正貿易慣行に対する通商法の執行強化である」と主張する。この方法なら、議会共和党の同調が得られるとともにラストベルトの労働者の支持も得られる。重商主義的なこのポートマン必勝法こそが、トランプ政権が望む通商政策なのかもしれない。
◆懸念広がる世界経済への影響
キンドルバーガーの「覇権不在による世界大恐慌再来のリスク」注5。大統領選後、ワシントンの一部の有識者の間でこのような言葉がささやかれるようになった。トランプ政権が保護主義政策を推進するなどして米国が覇権国の役目を果たさなくなった場合、「次の覇権国となり得る中国は、明らかにいまだその役目を果たす用意ができていない」とバーグステンPIIE名誉所長は指摘する。世界経済システムを安定させる覇権が不在となれば、1930年代と同様に大恐慌に陥るかもしれないと恐れるのだ。だが当時と異なるのは、今は世界貿易機関(WTO)があるということ。同機関により通商の紛争解決制度が有効に機能し、世界貿易のシステムが管理されている点だ。トランプ大統領は選挙戦ではWTO離脱の可能性も示唆した。だが、議会共和党との関係からもその可能性は低いだろう。WTOは今後も機能し、覇権不在による世界大恐慌リスクは回避できると思われる。
ラストベルトにおける雇用問題は、通商政策に起因するとトランプ政権は主張してきた。だが、通商政策以上に米国製造業に従事する労働者に影響を及ぼしているのは、技術革新に伴う省人化であることをいずれ認識するはずだ。製造現場では技術変化が労働者のスキル向上よりも速く高度化しており、工場ではスキルを保有する労働者が不足しているケースも多発しているという。ボール州立大学のマイケル・ヒックス教授は、「米国製造業の虚像と現実」(ボール州立大学、15年6月)と題する報告書の中で、2000~10年の製造業における純失業者数は約88%が生産性向上によるもので、貿易によるものは約13%にすぎない(約1%は需要増による雇用増)と分析している。トランプ政権は、米国の産業構造に急激な変化が起きている事実を直視し、米国の競争力ある産業を支えるFTAを中長期的な視野で推進する必要がある。それと同時に、21世紀の経済に適応できる人材育成を含む包括的な通商政策が不可欠だということだ。
ポリティコ紙の世論調査によると、16年12月、トランプ大統領が空調機器大手キャリアの工場の国外移転を阻止したことに対して、約6割の有権者が評価している。その意味では政権発足前から「政治的勝利」を収めたといえる。しかし中長期的には、トランプ大統領の通商政策に対する評価のモノサシは、個別企業の雇用創出案件ではなく、米国の雇用統計をはじめとしたマクロ経済上の指標となっていく。16年11月、APEC首脳会議に臨んだオバマ前大統領は、「現実が彼(トランプ大統領)の多くの政策を軌道修正させることを保証する。大統領職とはそのように機能するものだ」と語った。トランプ大統領は、自らを当選に導いたラストベルトの労働者の要望に応えなければならない。だが短期的な勝利だけにとどまらず、現実を踏まえた中長期的な視野で通商政策を導入できるか。それが政権の成否を分かつことになろう。
注1: 15年TPA法は21年まで有効(18年に議会の延長承認手続き有)。厳密には、TPA法が存在していても、議会は模擬審議を通じ政権が交渉妥結した貿易協定に対し修正を要請することが可能。
注2: 米議会下院では、基本的に下院議長および多数党院内総務が下院本会議の採決に進める法案を決定する。また共和党は多数派である共和党下院議員の過半数が反対する法案は、たとえ民主党下院議員の賛成票を合わせて可決できたとしても議長は下院本会議で採決にかけない慣例のハスタート・ルールがあり、ライアン下院議長は議長就任時に同ルール適用に合意している。
注3: 政権移行チームのジェイソン・ミラー報道官は、フィナンシャルタイムズ紙のインタビュー(16年12月9日付)に対し、ロス商務長官候補は政権の通商政策の優先順位を決める責任者であると発言。
注4: トランプ政権下の商務省では、米国業界寄りの判断が予想される。しかし、中立的な国際貿易委員会(ITC)は事実に基づいて判断することから、どの程度政治的な影響が及ぶかは不明。米国業界寄りの判断については他国がWTOに提訴するリスクもある。
注5: マサチューセッツ工科大学(MIT)のチャールズ・キンドルバーガー元国際経済学教授が、その著書『大不況下の世界1929-1939』で国際経済システムを安定化させる覇権が英国から米国へと移行する段階で、覇権不在の空白期間が1930年代の世界大恐慌をもたらしたとする「覇権安定論」を主張した。
日本貿易振興機構(ジェトロ)出版 『ジェトロセンサー』2017年3月号 32~35ページ掲載
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