トランプ政権の「対中国」通商政策、アメからムチへ戦略転換の兆し
コラム
2017年03月27日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
「彼(トランプ米大統領)は、対中国政策でパラダイム変化をもたらす」。トランプ政権で今後、通商政策を率いることがワシントンの専門家の間で予想されているロバート・ライトハイザー米通商代表候補は、2017年3月14日、米議会で開催された自らの指名承認公聴会でこう断じた。米国の「対中国」通商政策は、トランプ政権下、前政権から一転する兆しが見えた瞬間であった。重商主義的な通商政策を推進するトランプ政権が最も問題視しているのは、米国の貿易赤字の約半分を占める中国との貿易関係。米国の「対中国」通商政策は従来の欧米主導の多国間協定への取り込みを図って中国に自主的な改革を促す「アメ戦略」から、米国の通商法で取り締まって中国に貿易投資制度の改革を迫る「ムチ戦略」へ転換する見通しだ。だが、今日の世界でムチ戦略が中国に対し果たして効果的であるかは未知数だ。
◆従来の米政権の対中国通商政策は欧米ルールに取り込む「アメ戦略」
天安門事件によって米国の対中政策が岐路に立った1989年、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時)は米議会が要望する厳格な経済制裁発動などの声を抑え、対中経済政策で関係改善の道を選んだ。それ以降、今日まで米政権の経済政策で中国に対する強硬路線は極力、抑えられてきた。ブッシュ政権を引き継いだビル・クリントン大統領(当時)は2000年、中国に対し恒久的に最恵国待遇を付与する「恒久的通常通商関係(PNTR)」に関わる法律を成立させ、翌年、ジョージ・W・ブッシュ政権(当時)発足後に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟する道を開いた。
だが近年、世界経済における中国の台頭とともに、中国との貿易摩擦は世界で拡大。それに伴い中国経済特有の国家資本主義に関わる貿易投資問題はWTOや国際通貨基金(IMF)など既存の世界の枠組みでは解決できず限界にあることが、浮き彫りになってきている。トランプ政権が前政権と大きく異なるのは米国政府の対策の取り方だ。中国との通商問題に対し、オバマ政権では特に政権末期に貿易救済措置の拡大やWTOを活用した対策が多く見られたものの、抜本的そして中長期的な対策として同問題は環太平洋経済連携協定(TPP)で解決することを選択した。つまり、米国主導で高度な貿易投資の枠組みをアジア太平洋地域に構築し、将来的に中国が参加せざるを得ないことを狙ったアメ戦略を推し進めた。
TPPが合意に至った2015年10月、オバマ大統領は「中国のような国に世界経済の規則を書かせてはならない」と訴えた。多数のワシントンの通商専門家は、中国はTPP加盟国ではないもののTPPは中国が将来的に準拠することを予想して作成されたと指摘する。実際、2017年3月16日、ワシントンで開催されたセミナーで、オバマ政権で大統領特別補佐官(国際経済・金融担当)を務めたピーターソン国際経済研究所(PIIE)ローリー・マクファークハー客員研究員はTPP交渉を振り返って「われわれ(米政権)は中国を想定して交渉した。現行の世界貿易システムの抜け道を多用している中国対策のため、TPPに導入した多くの基準は世界貿易システムの近代化(抜け道を塞ぐこと)を狙っていた」と認めた。TPPが土台となり新たな世界の貿易規則が作られ、中国は将来的にその規則を受け入れなければ、アジア太平洋地域をはじめとした貿易圏から差別的待遇を受けてしまう状況に直面することが予想されていた。オバマ政権だけでなく、米議会でも同様の認識があったようだ。2017年1月、デイブ・ライカート下院歳入委員会貿易小委員長(共和党)はワシントンのある会合で、「TPPこそがISDS(投資家対国家の紛争解決)、知的財産権保護、労働基準、環境基準などの分野で高度な基準を設定することができ、中国にとって苦しい状況をもたらすと予想されていた」と語った。マクファークハーPIIE客員研究員は、大統領特別補佐官であった当時、中国政府のカウンターパートはTPPは米国による中国の封じ込めと捉え、TPPに敵対心を抱いていたものの、徐々にそれが21世紀の世界貿易システムに採用されることとなり中国も準拠せねばならない状況になることを理解し始め、中国で改革の動きも見られるようになったことも指摘している。このようにTPPを通じたアメ戦略で、中国を欧米の通商ルールに近づけ同じ土俵で競争する米国にとって望ましい環境を醸成する成果が徐々に見られ始めていたようだ。
◆WTOの限界とTPPで試みた解決策
そもそもオバマ政権下、WTOではなくTPPを通じて中国の行為を変えようと米国が試みた背景は、WTOでは取り締まることができない国家資本主義や新たな貿易形態の台頭で現在の世界的枠組みの限界が認識され始めたことにある。1995年、ウルグアイラウンドを経てWTOが発足した当時、WTOは欧米諸国が主導権を握っていた。だが、2001年に開始したドーハラウンドでは中国、インド、ブラジルなど新興国の影響力が増したことにより、今日、WTOの改革は行き詰っている。世界貿易は拡大し、WTO発足時には想定していなかったWTOではカバーできない貿易投資問題が見られるようになった。今日、新たな貿易制度の導入が不可欠になっているが、全会一致の意思決定に基づき更新するWTOは貿易の実態からかけ離れ、時代遅れになってきている。そのため、特恵貿易協定が世界各地で増えている。TPPもその一例だ。ハーバード大学法科大学院マーク・ウー准教授は、WTOでは取り締まることができていない(1)国有企業、(2)競争政策、(3)サイバーの3点の中国の問題行為についてTPPでは対策を導入する試みがみられたと指摘する(表1参照)。
◆アメ戦略の効果を待ちきれなかった米国民、新政権は「ムチ戦略」へ
TPPによるアメ戦略を強力に推進してきたオバマ政権だが、2017年の政権交代とともにその取り組みは封印された。TPPは発効前に迎えた2016年米大統領選で、党派に関係なくラストベルト地域の労働者をはじめ多数の国民が抱える雇用に対する不満の矛先となりスケープゴートと化してしまった。トランプ政権は発足とともにTPP離脱を発表し選挙公約を実現。TPP離脱によって米国の「対中国」通商政策は、新たな戦略に舵を切らざるを得なくなった。トランプ政権が取り入れる新たな「対中国」通商政策とは米通商法の執行強化の模様だ。「2017年通商政策アジェンダ」[注1]では中国を米通商法で取り締まり、それがWTO違反になることも辞さない姿勢を表明。米国の「対中国」通商政策はムチ戦略にシフトした。
今日、米製造業の雇用喪失に最も影響を及ぼしているのは生産性向上であるが(2000~10年の製造業の雇用減少の約88%が生産性向上によるもの)、貿易が僅かながらも雇用に悪影響をもたらしたことも事実だ(同約13%)。貿易の自由化は、比較優位によって米国に富をもたらしたと同時に勝ち組の産業と負け組の産業を生み出した。ラストベルト地域など高い技術を必要としない製造業に従事する労働者は自由化で悪影響を被った。マサチューセッツ工科大学(MIT)のデービッド・オーター教授などが執筆した「中国ショック」と題する報告書は、1991年以降、中国からの輸入増によって競争に負け製造業雇用が失われた地域では、労働者は新たな職を見つけることができず10年以上も失業率が低下せず生涯賃金が減っている現象を明らかにした。この状況下、2016年大統領選では保護主義政策の訴えがラストベルト地域の有権者に共感を与えた。中国との貿易をはじめ米国の通商政策に対する批判が高まった背景には主に3つの理由があると外交問題評議会(CFR)のエドワード・アルデン上級研究員は挙げている。一つ目は、負け組の産業に従事していた労働者に対するセーフティネットを米国政府が十分に整備することができていなかったこと。それには米議会で共和党の財政タカ派の反発により大規模な貿易調整支援(TAA)などを提供できなかったことが背景にある。二つ目に、米国内で自由貿易推進派がその恩恵を強調し過ぎ、結果が伴わなかったこと。中国がWTOに加盟する際、当時の推進派は米国の対中貿易赤字(約300億ドル)はなくなると主張していたが、今日、逆にその約10倍に増えているという。三つ目に中国がWTOに加盟後、米国政府は国内法で認められている様々な通商法を利用し、中国の不公正貿易行為を十分に取り締まらなかったこと。これらが積み重なった結果、ラストベルト地域の労働者などはTPPを将来的に米国の雇用拡大をもたらす「対中国」通商政策の有効策とは捉えず、TPPを否定し新たな通商政策を訴えるトランプ大統領の政策に期待を寄せることになった。
◆1980年代の対日強硬策は中国にも適用できるか
2017年3月1日、トランプ政権は「2017年通商政策アジェンダ」を発表した。同政権が掲げる「米国第一主義」を具体化した通商政策だ。WTOよりも国家主権を重視し、米通商法の執行強化を図るとともに貿易相手国に市場アクセスを迫る様相を見せている。前回のオバマ政権時の「2016年通商政策アジェンダ」でも通商法の執行強化について記載されていたものの、TPPをはじめ自由貿易の推進が前面に出ていた。
「2017年通商政策アジェンダ」は、一般的にはピーター・ナバロ国家通商会議(NTC)委員長が作成し、ゲーリー・コーン米国家経済会議(NEC)委員長が表現を和らげるなど編集し議会に提出したと言われている。しかし、同アジェンダの内容からライトハイザー米通商代表候補が作成に大いに関与していたことがうかがえる。同アジェンダにおけるWTOに関する考え方は、2010年に米議会の諮問委員会である米中経済安全保障調査委員会(USCC)の公聴会や3月14日の指名承認公聴会のライトハイザー氏の発言と類似する。実際、あるワシントンの通商専門家がライトハイザー氏は未だ米通商代表に承認されていないものの、同アジェンダ作成においてホワイトハウスに出入りしていたと語っている。通商法301条や輸出自主規制(VER/VRA)といったムチ戦略はライトハイザー氏が米通商次席代表であった1980年代、日本に対して多用した手法だ。しかし、同様のことが中国に対して適用できるかアルデンCFR上級研究員は懐疑的だ。同氏はCFRで2017年3月に行われた会合で「中国は日本と比べ、規模が大きい国であり、日本のように米国の貿易政策の圧力に屈する意思がない。(当時)日本は安全保障の観点からも米国との関係強化を図る理由があった」と述べた上で、米国がムチ戦略を中国に適用した場合「中国は米国に抵抗するリスクがより高い」と予想している。またバーニー・フランク元米下院金融サービス委員長(民主党)も「日米の場合は民主主義同士の交渉だったが、米中は異なり、中国は国内政治体制維持のためにも市場開放を拒むインセンティブが働き、(ムチ戦略の有効性は)悲観的にみている」と語った。2017年3月16日、マイケル・フロマン前米通商代表は「TPPから離脱すると同時に中国に対し厳しく接することは難しい」と述べ、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などの枠組みを通じて米国に代わってアジアの貿易圏の主導権を握る動きをとる中国に対し、トランプ政権の新たな戦略について懸念を表明した。
オバマ政権ではTPPを通じ将来的に中国問題の解消を狙うと同時に、2008年から開始していた中国との二国間投資協定(BIT)の協議を引き継ぎ、米中戦略・経済対話(S&ED)の場も利用して推進した。米中ビジネス協議会(USCBC)によると中国は自動車業界から金融業界まで100近くもの幅広い産業で外資に対する障壁があるという(USCBC報告書、2013年9月発行)。2015年、両国はネガティブリスト方式をBITに採用することに合意し同年にリストが提出されたものの、オバマ政権時に同協定の締結には至らなかった。中国の改革派の協力も得て中国の経済改革が進み、米国企業にとって中国でよりビジネスがやりやすくなる効果的なチャネルとしてBITは業界からも期待されてきた。だが、トランプ政権は中国政府の投資規制を問題視し、対米外国投資委員会(CFIUS)を通じて中国に強硬に圧力をかけることも予想される。同政権下で交渉が継続されるか未だ不明だが、TPPなき後、投資に関わる問題について引き続きBITの交渉を通じて米国は中国に対し改革を迫ることもあり得る。
2017年は、年初に米国で新大統領就任、そして秋には中国で共産党大会における最高指導部選出と政治イベントが重なり、両国ともに内政の影響で通商政策を含め妥協が難しいタイミングである。米中関係について米有識者の間では、トランプ政権発足後、「トゥキディデスの罠」[注2]を米中は回避できるかといった議論が繰り広げられるようになった。米国が中国との貿易戦争を回避する上でTPPは有効的な手段であったとも考えられる。TPP離脱宣言によってアメ戦略を破棄し、ムチ戦略に転換したトランプ政権、果たしてムチ戦略で中国に圧力をかけることによって同国の貿易投資政策が見直され米国にとって好ましい結果が得られるかその行方は不透明だ。ただし、同政権の通商政策を率いる見通しのライトハイザー米通商代表候補は通商法を熟知しており、また通商権限を憲法上(第1章第8条上)保有する米議会の通商政策を牛耳る上院財政委員会と下院歳入委員会の共和党指導部はトランプ政権発足前の第114議会とメンバーは変わっておらず自由貿易推進派が影響力を保持している。従って、米国経済に悪影響を及ぼしかねない過激な通商政策に対して議会および政権内で牽制機能が働くことが予想される。なお、トランプ政権を知る人物によると、秋の共産党大会を控え中国政府は不安定要素を回避したい思惑がある中、トランプ大統領は同大会が習近平国家主席にとって、内政上、極めて重要であることを側近からの助言で理解するようになったという。2017年4月初旬、米国政府は習国家主席を招待し、初の米中首脳会談を設ける計画を検討している。まずは、同会談は米国が新たに取り入れるムチ戦略の行方を占う上で、最初の試金石になるであろう。
[注1]: 「通商政策アジェンダ」は、米国の法律(1974年通商法163条)に基づき、政権が議会に対し報告するその年の通商政策の目標や優先事項。最終的に通商政策の権限を握っているのが憲法上、議会であるため、透明性確保の目的で議会が政権に毎年報告を義務付けている。
[注2]: 「トゥキディデスの罠」とは、支配勢力である国を新興勢力である国が追い上げ、両国が拮抗し戦争勃発のリスクが高まるといった現象。
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