柔軟性を見せ始めたトランプ政権のNAFTA再交渉
2018年03月30日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
2017年10月、NAFTA再交渉の第4回会合で、米国第一主義を掲げ保護主義的内容(通称「毒薬条項」注1)を提案して以降、トランプ政権は「毒薬条項」を新たな協定「NAFTA2.0」に盛り込むことに頑なにこだわってきた。約四半世紀前に発効した同協定を今日のビジネス実態に合わせる近代化の交渉では大幅な進展が見られる一方、「毒薬条項」のために交渉妥結見通しには暗雲が立ち込めていた。だが、3月上旬に終えた第7回会合以降、米政権はその姿勢に柔軟性を見せ始めた。この動きを受け、ワシントンの通商専門家の間では、まだ早期妥結には悲観的であるものの、NAFTA再交渉の行方に楽観的な見方も久々に広がり始めている。
◆「米国第一主義」の原産地規則に柔軟性:業界の声を聞き始めたトランプ政権
メキシコで開催されていた第7回会合の最中、米通商代表部(USTR)の自動車交渉を統括するジェイソン・バーンスタイン交渉官がワシントンに呼び戻されるという前代未聞の事態が発生した。第7回会合では自動車の原産地規則が議題の中心となると事前に伝えられていた中での出来事だ。NAFTA再交渉を注視していた通商専門家の間では衝撃が走ったものの、その後に判明した召還理由から一転ポジティブに受け止められた。バーンスタイン交渉官は、USTRのフォードおよびゼネラル・モーターズ(GM)との面談に参加するためにワシントンに急遽呼び戻されたという。それまでトランプ政権は米自動車業界の意に反し、カナダとメキシコとは原産地規則の強化を図る交渉を行ってきたことから、業界の意見を聞く姿勢が新たに見られ始めたことが米産業界にとっては喜ばしい動きとして捉えられた。
更には、ワシントンの通商専門家より得た情報によると、3月末時点でトランプ政権は原産地規則交渉において乗用車の米国産現地調達率50%を導入する提案について取り下げる意向を示しているという。「投資家対国家の紛争解決(ISDS)条項」についても下院議員の圧力を受けてロバート・ライトハイザーUSTR代表は柔軟性を示唆した。また、新たに「毒薬条項」として浮上した1962年通商拡大法232条発動については、メキシコとカナダを除外する条件としてトレーシングリスト注2に鉄鋼とアルミを追加する打開策も議論しているという。トランプ政権が「NAFTA2.0」において最重視してきた原産地規則やISDSについても、強硬な方針からやや緩和姿勢に転換し始めたことで、今後、サンセット条項や政府調達など他の「毒薬条項」でも米国は譲歩し、早期に交渉妥結を目指すのではないかとの憶測が専門家の間で広がり始めている。トランプ政権がNAFTA再交渉で新たに柔軟性を示し始めた理由として考えられるのが、懸念が高まる米国の中間選挙見通しと議会のけん制の影響だ。
◆中間選挙見通しと現議会で可決を目指すトランプ政権
トランプ政権が、交渉で柔軟性を示し始めた主因として考えられているのが、11月実施の米国中間選挙の行方に対する懸念だ。米国の中間選挙は議会のみ(上院の1/3の議席、下院の全議席)が改選対象であり、大統領は対象ではない。だが、中間選挙は大統領の信任投票とみなされるのが通常であるため、中間選挙で最も重要な指標となるのが大統領の支持率だ。しかし、今日、トランプ大統領の支持率が最新世論調査で39%と低迷注3する中、大統領の与党共和党は大幅に議席数を失うことが予想されている。1966年以降の中間選挙では、大統領の支持率が60%を超えると大統領と同じ政党は平均約3議席増加、支持率が50~60%の場合は平均約12議席減少、50%を下回ると平均約40議席減少していると米政治専門家チャーリー・クック氏(ナショナルジャーナル誌、2017年11月9日付)が分析している。現状の大統領支持率では、特に全議席が改選される下院を民主党が奪還するリスクが高い。2017年以降、中間選挙の前哨戦とも言われたバージニア州およびニュージャージー州の州知事選に加え、共和党が伝統的に強いアラバマ州選出上院議員補欠選やペンシルベニア州第18区選出下院議員補欠選などでも、共和党候補が民主党候補に相次いで敗れたからだ。トランプ政権もそのリスクを意識するようになってきているようだ。従い、共和党が上下両院を支配する現議会で「NAFTA2.0」の施行法案を批准しておきたいとトランプ政権は考えており、そのためにも今日、カナダやメキシコに働きかけ、早期交渉妥結を目指していると言われている。
◆通商権限を握る議会のけん制
柔軟性を示し始めた他の要因としては、トランプ政権の議会への配慮があるようだ。「議会は政権の顧客である。」2018年3月21日に行われた下院歳入委員会でケビン・ブレイディ委員長はライトハイザーUSTR代表に向かって「NAFTA2.0」を最終的に承認するのは議会であることを改めて示し、政権が議会の意に反し保護主義的な対策に合意することがないようけん制した。また同日、ブレイディ委員長をはじめ共和党下院議員107人は連名で書簡をトランプ政権に対し送付し、現行NAFTAと同レベルの厳格なISDS条項を維持するよう要請している。通商政策に携わる議会職員の話では、仮に米国がISDSを撤廃した内容で交渉妥結した場合、「NAFTA2.0」の施行法案は現議会では可決されないことが確実視されているという。
2018年7月1日、大統領貿易促進権限(TPA)は失効する。同年3月20日、大統領は議会に対し、更新を要請する通知を行った。失効までの3か月強の間に、議会は大統領のTPA更新を認めることと引き換えに、NAFTA再交渉で議会側の意向を反映するよう条件を突き付ける可能性が指摘されている。従い、TPA更新時の政権と議会間の約束によってトランプ政権がより議会の意向に沿った交渉姿勢に軟化する可能性も見込まれる。
2017年10月、下院歳入委員会との会合で、ライトハイザー代表はNAFTA再交渉において自分が気に掛けているのは「1人のみ(audience of one)」と語り、トランプ大統領の要望のみを考慮し、「毒薬条項」を議会の意に反して堅持することを表明したと言われている。だが、「毒薬条項」を巡る昨今の柔軟な姿勢からも、ライトハイザー代表そしてトランプ政権はTPA更新ならびに「NAFTA2.0」施行法案可決に向けて、もはや議会の意向を無視できない段階に入ってきていることを認識し始めているもようだ。
◆早期妥結がなければ交渉長期化の見通し
米メディア報道によるとトランプ政権は2018年3月末までに「NAFTA2.0」の基本原則に合意し、鉄鋼・アルミの232条対策の一時除外措置の期限を迎える5月1日までに詳細を詰める日程でカナダとメキシコに対し圧力をかけているという。だが、ワシントンの通商専門家の間では、これは非常に野心的なスケジュールであり、その実現性については懐疑的な見方が支配的だ。既にメキシコ政府は米国の早期妥結要請を却下したとも報道されている。一方、通商専門家によると、TPAに基づく場合、4月末頃までにNAFTA再交渉が合意に至らなければ、年内に議会で批准することは難しいと予測されている。原産地規則やISDSで米国の交渉スタンスに緩和傾向が見られるものの、他の「毒薬条項」で交渉が暗礁に乗り上げる可能性、そして米議会で批准されない可能性もある。また、2018年3月下旬、議会公聴会では、NAFTA再交渉を率いるライトハイザーUSTR代表から、政権の貿易赤字削減に対するこだわりが改めて強調され、トランプ政権の通商交渉におけるゼロサム思想が顕著に表れた。交渉妥結後、協定発効に至るには、米国内での批准だけでなく、交渉相手のカナダやメキシコでも交渉妥結内容の国内批准が必要だ。従って、交渉結果は全ての国が勝利宣言できる「ウィン・ウィン・ウィン」でなければならず、トランプ政権がゼロサム思想に固執する限り、交渉および国内批准は長期化することが必至だ。
2018年3月6日、全米初の中間選挙予備選がテキサス州で行われ、各州で続々と予備選が実施されてゆく中、今後の米国政治は中間選挙を軸に動く見通しだ。一方メキシコでも同年7月の大統領選に向けたキャンペーンが3月30日に開始され、カナダも地方選挙がオンタリオ州(6月頃)、ケベック州(10月)で実施予定となっている。国内政治がNAFTA再交渉に影響し、弱腰を見せられない各国は交渉妥結を先延ばしするインセンティブが働くため、時間とともに交渉妥結はますます難しさを増す見込みだ。
注1:「毒薬条項」とは交渉相手国や米議会が決して受け入れることがない提案。NAFTA再交渉では米国が「毒薬条項」を堅持すれば交渉が暗礁に乗り上げることが予想されている。原産地規則の大幅な強化、ISDSの撤廃、政府調達の改定、サンセット条項導入などが例。
注2:トレーシングリストとは、NAFTA403条第1項に基づく付属書403.1に掲載の品目リスト。最終製品の現地調達率を算出する際、仮に特定の部品がNAFTA産と認定されていても、同リストに含まれる域外で生産の原材料の調達価格は非原産材料価格に盛り込まれて計算される。NAFTA再交渉では、アジア産部品など域外の品目を減らしNAFTA産部品を増やす目的で品目リストの拡大の可能性がある。
注3:米ギャラップ社の世論調査(2018年3月19~25日実施)では、トランプ大統領の支持率は39%。選挙で当選した歴代大統領の第5四半期の平均支持率は61%。
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