トランプ大統領の通商政策、米議会のレッドラインはどこか
2018年07月26日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
米国憲法第1 章第8 条によれば、議会は「諸外国との通商を規制する」権限を有する。しかし、1930年代以降、議会は各種通商関連法案を可決して行政府に通商権限を委譲してきた経緯がある。今日、それら通商関連法を根拠に、議会承認を得ずに政策を実行できるため、通商政策における大統領の権力は絶大なものになっている。だが、米国憲法に基づき、議会はいつでも大統領に委譲した権限を取り戻すことが可能だ。2018年、通商で強硬策を実行に移しているトランプ政権に対し、米産業界は議会がけん制機能を働かせることに期待を寄せている。だが、中間選挙を控え、予備選が各地で実施され米政治は選挙一色に染まる中、けん制は機能していないのが実態だ。共和党内では高い支持率を維持するトランプ大統領に背く行為は自殺行為になりかねないと考える議員が多くいる。だが、議員の地元有権者に明らかに経済的悪影響をもたらしかねない政策、そして米安全保障の脅威になりかねない政策など、今後、トランプ大統領がレッドラインを越えた場合には、議会も重い腰を上げ大統領の通商政策を阻止する可能性はある。
◆トランプ独走を許す米政治環境
2018年6月、共和党のマーク・サンフォード下院議員(サウスカロライナ州選出)の予備選での敗北は米議会に衝撃を与えた。過去20年以上の政治経験で初めて敗北を味わったサンフォード下院議員は敗因を「トランプ時代に十分にトランプになりきらなかったこと」とワシントンポスト紙(2018年6月22日付)に寄稿している。二極化が進む米政治では、共和党内のトランプ大統領の支持率は88%と高い(2018年7月15~18日、NBC/ウォールストリートジャーナル紙調査)。特に支持が高いのが経済政策だ。トランプ大統領の経済政策を支持する国民は50%にも上り、支持しない国民(34%)を大幅に上回る。2018年6月の失業率は4.0%であったが、5月の失業率3.8%は18年ぶりの低水準であり、約半世紀前と同水準を記録した。失業率の低下はオバマ政権時代からのトレンドの延長線上にあるものの、トランプ政権下の規制緩和や減税策が好景気を後押ししているのだ、と大統領は主張している。米政治はロシアゲート問題、国際的な枠組みからの離脱による同盟国をはじめとした各国からの信頼喪失など混迷を極めているものの、トランプ大統領は経済政策の有効性を支持基盤に訴えることで党内での高い支持を維持しているもようだ。通常、予備選では各政党の支持基盤の多くが投票所に足を運ぶ。今やトランプ大統領の支持基盤が共和党の支持基盤と化しており、多くの共和党議員にとって大統領に背く行為は自らの再選を阻む自殺行為になりかねない。従い、通商政策でもトランプ大統領の保護主義政策にイデオロギーで反対し、口頭で懐疑的な意見を述べたとしても、議員は大統領の通商政策を阻止するような法案可決など現時点では考えられない。
一方、野党民主党も指導部をはじめ多くの議員がトランプ政権の通商政策の方向性には反発していない。チャック・シューマー上院少数党院内総務は「トランプ大統領の通商政策は公約を守っておらず、十分に保護主義的ではない」との批判を展開してきた。1962年通商拡大法232条(自動車・同部品「以下、自動車」)についても業界は反対する一方、民主党の支持基盤である労働組合の全米自動車労働組合(UAW)と全米鉄鋼労働組合(USW)は支持するとコメントしている。このような背景から、民主党議員の多くは労働組合に配慮し、トランプ大統領に強く反対できていない。だが、トランプ政権の強硬な通商政策を議会が阻止することになるであろうレッドラインは、(1)NAFTA離脱通知、(2)米中ハイテク冷戦を巡る安全保障の脅威、(3)232条(自動車)と301条の拡大に伴う影響の深刻化という3点が考えられる。
◆レッドライン1:NAFTA離脱通知
NAFTA再交渉は暗礁に乗り上げている。カナダやメキシコに加え米産業界も反対しているサンセット条項の導入、原産地規則の過度な強化、投資家対国家紛争解決(ISDS)弱体化などいわゆる「毒薬条項」に米国政府がこだわっていることが合意を遅らせている主因だ。
トランプ政権が発表しているNAFTA離脱のオプションはあくまでも、米国が交渉において優位な立場を確保するための交渉カードと捉えられてきた。交渉相手を脅すことによって自らにとってより良い条件を引き出そうとするニューヨークの不動産業仕込みの「挑発の交渉」とも指摘されている。仮にNAFTAを離脱すれば、トランプ大統領の支持基盤である農業州がメキシコやカナダの報復措置などで被害を受け、ラストベルト地域に集積しNAFTA内でサプライチェーンを形成し北米地域で一体化している米自動車産業も打撃を受ける。
離脱に伴うこれら政治経済リスクについて、トランプ大統領は理解していると言われている。だが、NAFTA再交渉が暗礁に乗り上げる中、トランプ大統領が痺れを切らし、NAFTA2205条に基づき離脱を通知し、実際に離脱が可能となる6か月後までの間にトランプ政権が両国の譲歩を引き出す交渉を行う可能性も指摘されている。また、保護主義的な「NAFTA2.0」は米議会による承認取得が難しいことが予想されるため、同政権は両国と「NAFTA2.0」署名後に離脱を通知し、「NAFTA離脱」あるいは「NAFTA2.0」のいずれかの選択を議会に迫る戦略を考えているとの見方もある。
2017年4月、トランプ政権内で離脱通知の草案が回覧された際、米産業界は騒然とし、ソニー・パーデュー農務長官がトランプ支持派の農業州に影響が及ぶことを米国の地図で示して大統領を説得したという。その後も上院共和党議員を中心にホワイトハウス訪問を繰り返し、直接大統領にNAFTA離脱を回避するよう働きかけてきた。トランプ政権のNAFTA離脱懸念が高まった2017年以降、米産業界は「NAFTA連合」の結成などNAFTA維持のために業界を越えて連携しロビー活動を展開するようになっている。仮にトランプ大統領がNAFTA2205条に基づき離脱を通知した場合、産業界はより連携を強化して議会に働きかけ、議会が阻止に動くことが予想される。
◆レッドライン2:「米中ハイテク冷戦」を巡る安全保障の脅威
2018年7月13日、トランプ政権はZTE(中国通信機器大手の中興通訊)に対する制裁を解除した。議会の共和党外交タカ派、反トランプ派、引退予定議員、民主党議員などはトランプ政権のZTE制裁解除に反発している。とはいえ、大半の共和党議員はトランプ大統領の支持基盤から反感を買うのを恐れ、引き続き米企業によるZTEとの取引を禁止するという厳しい内容に合意する可能性は低い。従い、議会で審議が行われている2019年度国防授権法(NDAA)のZTEに関わる修正条項では「取引禁止」という上院案は採用されず、両院協議会では上下両院そしてトランプ政権で合意できる「連邦政府によるZTE製品の調達禁止」に限定した下院案の内容で成立する可能性がますます高まっている。つまり、トランプ政権の制裁解除を完全に阻止するのではなく、トランプ大統領の政策を一部撤回するに過ぎない内容にとどまる見通しだ。「中国製造2025」に基づき、中国政府は次世代のハイテク産業強化に注力する一方、米経済にとっても今後の成長エンジンとしてハイテク産業は欠かせない。今後も中国の知的財産権侵害や技術移転強制など安全保障の観点からも両国が衝突することが予想され、「米中ハイテク冷戦」は回避できない。仮にトランプ大統領が米国の安全保障を損なう政策の導入を試みれば、議会が阻止しようとすることは大いに考えられる。
◆レッドライン3:232条(自動車)と301条の拡大に伴う影響の深刻化
共和党のボブ・コーカー上院議員がNDAAの修正条項として追加することを試みた、大統領による232条発動を差し止められる法案は2018年6月、上院共和党指導部によって握りつぶされた。仮に同法案が上院で可決したとしても下院で否決される可能性が高く、更には仮に下院で可決しても大統領は拒否権を発動し、拒否権を覆すほどの票を上下両院で確保することは絶望的であるからだ。廃案が確実な同法案を本会議で審議することは大統領の反感を招き、大統領が上院共和党議員を批判することは、中間選挙を控える共和党議員にとって得策ではないと上院共和党指導部が判断したもようだ。
だが、232条(鉄鋼・アルミ)の関税とその報復関税は徐々に議員の考えに影響を及ぼし始めている。米国内の鉄鋼需要家から地元議員に対して、鉄鋼価格の上昇や輸入数量制限によって部品などが入手困難になっていることなどで陳情が増えているという。また、232条に基づく輸入制限の調査を自動車にまで拡大したことを多くの議員が懸念している。多数の議員の地元では、自動車産業の雇用が重要であることからも関心が高い。仮に232条(自動車)を発動し、地元に自動車生産拠点がある共和党議員が地元雇用に影響が及ぶと判断すれば、大統領に対し反旗を翻す可能性はある。
また、既に品目リストが発表されている2,000億ドル、そして大統領が示唆した3,000億ドルまで1974年通商法301条に基づく対中追加関税が拡大すれば、農作物の対中輸出が報復関税の標的となり、大統領の通商権限阻止に向けて共和党議会がようやく動き出す可能性はある。また、トランプ大統領を支持してきた農家は自らが扱う品目の貿易摩擦が早期に解消しなければ我慢の限界を超えるであろう。これまで愛国心から大統領の通商交渉の手段としてある程度の悪影響に耐えてきたトランプ支持派の業者も、徐々に市場を失う中、短期的には痛みを我慢したとしても長期化すれば反発の声が増え、ついに共和党議員も動く可能性がある。
◆フーバー大統領以来の保護主義大統領
米国憲法で議会が通商権限を有するにも関わらず、大統領に権限を委譲してきた背景には、議員は地元利益を考える一方、大統領は中長期的な国益を重視することが前提にあった。議会が各品目の関税率について協議するには時間を要し、また他の外交政策との関連からも国益を考慮して判断できる大統領に権限を委譲してきた。1930年関税法、1962年通商拡大法、1974年通商法、1977年国際緊急経済権限法(IEEPA)などが通商権限を委譲した例だ。
だが、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(任期:1933~45年)以降、80年以上に渡り、いずれの米大統領も超党派で貿易拡大を推進してきた。今日、保護主義政策を推進した大統領はハーバート・フーバー大統領(任期:1929~33年)まで遡らなければいないとの見方が支配的だ。ロナルド・レーガン政権時代(任期:1981~89年)などに利用された通商法も他国の貿易障壁を取り崩す貿易拡大を最終目的とする交渉手段のものであった。共和党議員はレーガン政権と同様にトランプ政権も交渉手段としてこれら法律を利用しているとこれまで主張してきた。しかし、トランプ大統領は自由貿易を望むと訴えているものの、保護主義政策の推進を目的に関税を発動していることが徐々に明らかになりつつある。だが、今日、共和党主導の議会からは大統領の保護主義政策を批判する声は聞こえてくるものの、トランプ大統領の支持基盤が共和党議員の支持基盤と一致しているため、トランプ大統領がレッドラインを明確に越えない限り、大統領の通商政策を議会が完全に阻止する日は訪れない見通しだ。
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