貿易摩擦で夏休み返上の米国首都ワシントン ~2018年、保護主義政策を実行に移すトランプ政権~
コラム
2018年08月06日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
例年8月のワシントンは、議会が夏季休会入りして政治ニュースは姿を消し、極めて静かだ。だが、2018年8月は異なる。中国と自動車に関連する各種通商政策で、さまざまな動きが見込まれる。中国関連では、米国による対中輸入160億ドルや対中輸入2,000億ドルに対する追加関税を巡る米中貿易摩擦のエスカレートの可能性、対米外国投資委員会(CFIUS)の強化法案「外国投資リスク審査近代化法案(FIRRMA)」の成立など懸念が高まっている。自動車では、商務省による1962年通商拡大法232条(自動車・同部品)報告書発行の可能性、自動車貿易が問題になっているNAFTA再交渉の進展などに注目が集まっている。ワシントンで通商を追いかける者は、夏休みの日程を延期せざるを得ないケースも多々あり、ここまで忙しい8月は初めてという声も聞かれる。2018年春以降、今日に至るまでトランプ政権の保護主義政策が続々と実行に移され話題を呼ぶようになった背景には、(1)経済ナショナリストが影響力を増しているホワイトハウス、(2)トランプ大統領の追加関税への固執が表面化、(3)政治日程が大統領の保護主義政策を後押し、という3点が挙げられる。
(1)経済ナショナリストが影響力を増しているホワイトハウス
○ホワイトハウス内の勢力図の変化
ホワイトハウスでは「自由貿易派のグローバリスト」対「保護貿易派の経済ナショナリスト」の構図が現在も続いている。だが、2018年2月頃から経済ナショナリストが影響力を増し、グローバリストを上回る影響力を保持し続けている。一時的にグローバリストに好ましい状況が生まれることもあるが、最終的には経済ナショナリストの推進する政策にシフトする傾向がみられる。例えば、2018年5月、スティーブン・ムニューシン財務長官などグローバリストは米中間で貿易戦争をいったん保留することで合意したが、その数日後には破棄された。また、同年7月、米欧間で貿易交渉を実施することで一致し、交渉中は232条(自動車)関税は保留することで合意に至っている。だが、今後、米国の経済ナショナリストが望む保護主義政策にEUが譲歩しない場合には、交渉が暗礁に乗り上げ、米欧間の貿易摩擦が再び悪化する可能性も指摘されている。
政権発足以降の半年間、ホワイトハウスは無秩序状態であった。しかし、2017年7月、ジョン・ケリー大統領首席補佐官がホワイトハウス入りして以降、政権内の情報ルートが整備され、指揮系統が徹底された。ケリー首席補佐官の就任以降約半年間、経済ナショナリストのピーター・ナバロ通商製造業政策局長は降格人事によってグローバリストのゲーリー・コーン国家経済会議(NEC)委員長の傘下に置かれ、影響力を失っていた。その結果、通商政策ではグローバリストの影響力が増した。だが、2018年2月初旬のロブ・ポーター秘書官(大統領政策調整補佐官)の辞任スキャンダルなどをきっかけにケリー首席補佐官はホワイトハウス内で求心力を失った。
ケリー首席補佐官の影響力低下によって、再びホワイトハウス内の秩序は崩れ、経済ナショナリストの影響力が増し、ナバロ通商製造業政策局長は大統領に直接助言できる立場に復帰した。この直後の2018年3月1日、大統領は232条(鉄鋼・アルミ)の追加関税について発表するに至った。通常、政策は関係省庁で調整が行われた後に大統領が公式発表するが、232条(鉄鋼・アルミ)の追加関税に関して初めて大統領が発表した際にはそのような手順に従っていなかった。無秩序なホワイトハウスに戻りつつある状況下、大統領の発表前日、ナバロ通商製造業政策局長が他の大統領補佐官に知らせずに大統領と面談し、助言していたことが大きく影響したと考えられている。
コーンNEC委員長の後任のラリー・クドローNEC委員長は、グローバリストであるものの、対象を絞った232条対策を支持するなど、ある程度の保護主義政策は各国との通商交渉手段として容認している。また、同氏は大統領が決断することについてはたとえ保護主義政策であっても、コーン前委員長のように大統領に強く反発することはない。直近では、これまで通商政策で議会との架け橋を担っていたグローバリストのエベレット・アイゼンスタットNEC副委員長(共和党支持)が2018年6月に辞任を発表するなど政権内ではグローバリストの影響力がますます低下している。アイゼンスタット氏は上院財政委員会首席通商顧問や米通商代表部(USTR)通商代表補なども歴任し、ホワイトハウス内で通商政策について最も精通し、産業界とも交流がある人物だった。同氏辞任はホワイトハウス内の自由貿易勢力の衰退を象徴する出来事であった。
○大統領の保護貿易政策を抑えてきた防波堤の崩壊
2017年は税制改革法案可決を最優先課題として位置づけていたこともあり、大統領は同法案可決を担う議会共和党との連携を重視し、共和党分裂を招く可能性が高い強硬な保護主義政策導入は控えていた。この背景には、コーンNEC委員長やムニューシン財務長官などグローバリストが「先ずは議会での税制改革法案可決を優先すべき」と大統領に助言していたことが影響していた。
だが、今日、政権内のグローバリストの抵抗勢力は影響力を失い、経済ナショナリストの大統領の政策を阻止するまでの力はない。コーンNEC委員長が去った後は、それまで毎週火曜日にホワイトハウスで開催されていた貿易会合も崩壊し、ホワイトハウス高官の間で統一された通商政策が事実上策定されなくなった。従い、今日、政権の通商政策の策定プロセスが無秩序状態の中、大統領の意向が通商政策に大きく影響している。
(2)トランプ大統領の追加関税への固執が表面化
トランプ大統領は大統領選出馬を検討していた2011年、ラスベガスの政治集会で中国について「我々は25%の追加関税を課す」と発言するなど、長年、中国に対する関税発動にこだわってきた。大統領は常に本心では保護主義的な通商政策を実行することを望んでいるとも言われている。トランプ大統領は各種政策で突然、方向転換することが多いが、通商政策についてはビジネスマンであった1980年代頃から、日本製品に対する関税引き上げなど保護主義的な対策を訴える姿勢に一貫性がある。共和党内では、トランプ大統領は関税・非関税障壁などの完全撤廃を目指す究極の自由貿易派との主張もある。だが、各国に対して追加関税を発動して管理貿易を推進するトランプ大統領の姿勢から見れば、そのような主張は実態とは異なるようだ。米中貿易摩擦で、産業界が最も懸念しているのは知的財産権侵害や技術移転強制問題などだ。2017年、同問題をホワイトハウスで議論していた中、トランプ大統領はそれらの問題には関心を示さず、「誰か追加関税案を持って来い」と語ったという。同年、ウィルバー・ロス商務長官が、世界の鉄鋼過剰生産問題の主因である中国と交渉し、中国の生産稼働率を下げることで合意に至ったものの、トランプ大統領は追加関税へのこだわりからその解決策を却下したエピソードも報道されている。これらの保護主義的な動きは、2017年中はホワイトハウス内で完結し、グローバリストの手によって抑えられ、政権が追加関税を発動するまでには至らなかった。だが前述の通り、2018年、政権内が無秩序状態の中、大統領の追加関税発動にこだわる保護主義的な意向はようやく政策として実行され、表面化している。
(3)政治日程が大統領の保護主義政策を後押し
2017年、政権発足後に開始した201条(洗濯機・太陽光パネル)、232条(鉄鋼・アルミ)、301条の調査はいずれも2018年前半に完了した。調査完了とともに2018年は大統領の決断の時期を迎えていた。2017年12月に税制改革法が成立し、更には2018年11月の中間選挙に向けた予備選が同年春に開始し、2018年、大統領にとって保護主義的な通商政策発動でこれ以上待てない時が来ていた。米国憲法第1 章第8 条によれば、議会は「諸外国との通商を規制する」権限を有する。だが、1930年代以降、議会は各種通商関連法案を可決して行政府に通商権限を委譲してきた経緯がある。中間選挙を控え、2018年は議会でインフラ関連法案など重要法案が可決される可能性は低い。そのため、大統領は議会承認を経ずに自らの権限で実行可能な通商政策で活発に動いているとも指摘されている。また、中間選挙に向け、スティーブ・バノン元首席戦略官が主張している移民政策や通商政策などで外国人・外国を叩くことによってトランプ支持基盤が投票所に足を運ぶことを後押しする戦略を、トランプ大統領は参考にし始めているとの見方もある。減税策や好調な経済情勢よりも、2016年大統領選でも功を奏した強硬な移民政策・通商政策を主張することこそが必勝法という戦略だ。
ロス商務長官は2018年6月、政権がこだわる貿易赤字削減について「原因は2点ある」と語り、自動車と中国を挙げ、「両者を解決しなければ貿易赤字はほとんど解消できない」と述べている。商務省高官も市内の会合で米国の自動車産業の雇用減少について強い懸念を表明するなど、商務省の232条(自動車)調査で米国の安全保障を損なう脅威があるとの結論に至る可能性も既に示唆している。
一方、対中通商政策については、一部報道によると、ムニューシン財務長官は劉鶴副首相と水面下で交渉を再開しているという。だが、政権内で経済ナショナリストが影響力を増す中、ムニューシン財務長官の交渉を通じて、政権が調査中の対中輸入160億ドル、2,000億ドルに対する追加関税を回避できる保証はない(図参照)。2018年7月30日、ロス商務長官は米中貿易摩擦について「ダイエットと少し似ている。最初は楽しくなく、少し痛みを伴うかもしれない。だが、最終的には結果に満足することになる」と米国商工会議所の会合で語った。
政権のこの強硬姿勢からも、米中貿易摩擦、NAFTA再交渉、232条(自動車)などが早期解決に至るか極めて不透明だ。打開策を見いだすことができず、ロス商務長官が語ったダイエットが当面続く可能性も高い。マクロ経済のファンダメンタルズが強固な米国はしばらくは我慢できても、保護主義政策の影響が徐々に広がる中、米国経済はいずれ痩せこけていくリスクに直面する。対中政策や自動車に関わる通商政策が大きく動く今夏は、米国経済の将来を占う上で重要になるだろう。
記事のご利用について:当記事は、住友商事グローバルリサーチ株式会社(以下、「当社」)が信頼できると判断した情報に基づいて作成しており、作成にあたっては細心の注意を払っておりますが、当社及び住友商事グループは、その情報の正確性、完全性、信頼性、安全性等において、いかなる保証もいたしません。当記事は、情報提供を目的として作成されたものであり、投資その他何らかの行動を勧誘するものではありません。また、当記事は筆者の見解に基づき作成されたものであり、当社及び住友商事グループの統一された見解ではありません。当記事の全部または一部を著作権法で認められる範囲を超えて無断で利用することはご遠慮ください。なお、当社は、予告なしに当記事の変更・削除等を行うことがあります。当サイト内の記事のご利用についての詳細は「サイトのご利用について」をご確認ください。
レポート・コラム
SCGRランキング
- 2024年12月13日(金)
日経CNBC『World Watch』に当社シニアアナリスト 石井 順也が出演しました。 - 2024年12月10日(火)
金融ファクシミリ新聞・GM版に、当社シニアエコノミスト 片白 恵理子が寄稿しました。 - 2024年12月6日(金)
外務省発行『外交』Vol.88に、米州住友商事会社ワシントン事務所長 吉村 亮太が寄稿しました。 - 2024年12月3日(火)
『日本経済新聞(夕刊)』に、米州住友商事会社ワシントン事務所長 吉村 亮太が寄稿しました。 - 2024年11月28日(木)
ラジオNIKKEI第1『マーケットプレス』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行が出演しました。