NAFTA再交渉1周年、暫定合意を急ぐ米国とメキシコ ~ペニャ・ニエト現政権下での「NAFTA2.0」署名は絶望的~
2018年08月15日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
2018年8月16日、NAFTA再交渉開始から1周年を迎える。当初は2017年末の妥結を目指していた再交渉だが、その後、幾度も妥結目標日が過ぎ、交渉期間は繰り返し延長されてきた。現在の暫定合意目標日は8月25日。これは米国のTPA法(2015年大統領貿易促進権限法)に定められたスケジュールの関係で、メキシコのエンリケ・ペニャ・ニエト政権下で署名に至る最後のタイミングだ。だが、早期署名を望む米墨両国の思惑が一致している一方、NAFTA再交渉妥結に至るにはそれを上回る多くの障壁が立ちはだかっている。仮に8月、米墨間で何かしら合意に至ったとしても、カナダも含む包括的な合意にはほど遠く、妥結目標時期は再び延長せざるを得ない可能性が高い。
◆互いに早期署名を望む米墨両国
○米国:通商で目立った成果がないトランプ政権と、政権に対し徐々に高まる業界圧力
トランプ政権発足から1年半が経過した今日、同政権は通商政策ではわずかな修正で合意に至った米韓自由貿易協定の再交渉以外に目立った成果をあげていないのが現状だ。なお、同協定も1962年通商拡大法232条に基づく自動車・同部品の輸入制限の政策次第では、今後、韓国で批准されない可能性も出てきている。
今日、232条に基づく鉄鋼・アルミの輸入制限や1974年通商法301条に基づく対中輸入制限、そしてそれらに対する各国の報復措置が、米産業界に徐々に悪影響をもたらし始めている。各国の報復措置は、共和党やトランプ大統領の支持基盤が多く居住する選挙区を狙っており、中西部の農業なども標的になっている。世論調査によると、トランプ大統領は通商政策の影響で支持基盤である農業従事者の支持を失い始めている。米農業専門誌『ファーム・フューチャーズ』の最新世論調査結果(2018年7月20日~8月2日調査実施)では、約60%の農業従事者がトランプ大統領に対し支持を表明。政権発足当初、約75%の農業従事者がトランプ大統領に投票したと答えていることからも、過去1年半で約15%ポイントも下落している。大統領の「貿易戦争は良い、そして容易に勝利できる」との発言に対する農業従事者の支持は4%に過ぎないし、関税が農家の利益にとって良いと答えたのは14%だけだ。大統領の規制緩和策については農業従事者の86%が支持していることからも、大統領の通商政策が昨今の農業従事者の支持低下をもたらしたと同誌は分析している。232条に基づく自動車の輸入制限については、現在、商務省で調査中であるが、国内・外資を問わず全ての自動車メーカー各社が反対を表明している。仮に発動に至った場合、米経済への影響は計り知れない。自動車業界のさまざまな団体が一枚岩でロビー活動を展開するのは初めてとワシントンの業界関係者は指摘する。トランプ政権の通商政策に対する懸念が高まる中、今後、政権はNAFTA再交渉を早期に終え、他の貿易摩擦についても解消し、本来注力すべき対中通商政策に軸足をシフトするとも言われている。
○メキシコ:差し迫る政権交代
2018年7月1日、メキシコ大統領選を制したアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(AMLO)氏は同年12月1日、大統領に就任する予定。ペニャ・ニエト政権はこの5か月間の政権移行期間内に「NAFTA2.0」署名を狙っている。
過去1年の交渉で多岐に渡る分野で進展がみられた。既に全30章のうち9章は妥結済みで、10章は妥結間近の状況だ。従い、ペニャ・ニエト大統領は自己の政権終了前にNAFTA再交渉妥結に至りたいとの思惑がある。一方、AMLO次期大統領も、政権発足時に前政権から負の遺産となるNAFTA再交渉を引き継ぐことは避けたいと考えていると思われる。AMLO氏は選挙キャンペーン中、汚職や治安など国内問題解決に焦点を当てていた。AMLO政権発足後も、通商政策をはじめとする外交政策よりも、国内問題に注力すると予想されており、NAFTA再交渉の問題は早期解決を望んでいるもようだ。TPA法スケジュールでは90日前に米政権は議会に署名の意思を通知する必要があり、逆算すると8月末までに通知せねば、ペニャ・ニエト政権最終日の11月30日に間に合わない。
◆発効に至るには、多くの障壁
障壁(1)毒薬条項:米国譲歩は不可欠
2018年7月から再開した米墨間の交渉では、毒薬条項のひとつである原産地規則強化を中心に議論され、両国間の考えの違いが徐々に縮まりつつあると言われている。現行NAFTAに基づく乗用車の域内調達率は62.5%だが、米国は当初、米国製部品の比率を50%という要件を求めていた。だが、その後、米国は同提案を撤回。引き続き域内調達率引き上げなどで米墨間は交渉中であり、ロイター通信がメキシコ関係者から得た情報によるとメキシコは2018年5月に提示した域内調達率70%を上回る数値を現在提案しているという。米国が75%の域内調達率を提案していることからも、あと一歩のところまで近づいている。この他、米国は生産の一部について、賃金が時給16ドル以上の地域で製造することを求めているが、専門家はこれら数値の交渉に関しては最終的に何かしらの合意に至るであろうと指摘する。ただし、最新の米メディア報道によると、NAFTA再交渉を巡る米墨間の協議で、米国政府は「NAFTA2.0」で232条(自動車)関税を、メキシコの既存の工場に対しては適用しないが、メキシコで新たに開設する自動車工場には適用し、同じ優遇措置をとらない方針であることを主張しているという。米政権が同主張を堅持すれば合意は容易ではない。
また、原産地規則に多くの時間が割かれ、他の毒薬条項の交渉は前進していないという。特にカナダ・メキシコ両国が到底受け入れられないのがサンセット条項で、交渉の最後まで議論される見通しだ。この他、投資家対国家の紛争解決(ISDS)、政府調達なども課題として残っている。これら項目はいずれも米国が譲歩しなければ合意に至らないことが想定され、最終的には早期妥結のために米国が要望を撤回するかどうか、トランプ大統領に判断が委ねられる可能性が高い。
障壁(2)交渉不参加のカナダ:あくまでも3国間の協定維持を求めるカナダ・メキシコ
トランプ政権は「分断攻略」の戦術で早期妥結を狙っている。カナダとメキシコが連携して米国に対抗するのを避けるため、米政権は7月末、メキシコだけとNAFTA再交渉を再開。近々、カナダも参加することが想定されるが、未だに米国はカナダの交渉参加を認めていない。米国はまずはメキシコと合意し、その後、カナダとの交渉でメキシコとの合意内容を受け入れるよう圧力をかける方針だが、容易にカナダが合意するかは不透明だ。通商専門家は、米政権がメキシコの譲歩と引き換えに、232条に基づく鉄鋼・アルミに対する追加関税の撤廃、自動車・同部品に対する追加関税発動からの除外、といった見返りに合意する可能性も指摘する。その場合、カナダへの圧力は強まり、カナダも譲歩せざるを得ない可能性もある。
米国とメキシコがNAFTA再交渉を再開する直前、カナダのクリスティア・フリーランド外相はメキシコを訪問し、NAFTAを3か国間の協定として保持することについてメキシコに釘を刺し、メキシコもこれに同意した。AMLO次期大統領も同じ考えだ。3か国間の協定を維持する限り、いずれカナダの交渉入りは避けられない。カナダの参加が遅くなればなる程、8月末の暫定合意の可能性は遠のく。
仮に米国がカナダと合意に至らない場合、トランプ政権はメキシコとの2国間でのFTA発効を狙う可能性がある。だが、政権の通商交渉結果に対する議会承認取得に不可欠な現行のTPA法の枠組みは、米国・メキシコの2国間FTAをカバーしていない。TPA法に記載されていない新たなFTAについてもTPA法利用は認められているが、同法に基づき新規に2国間FTA交渉入りするには議会通知や各種協議等を経る必要があり、時間を要する。このことからも、早期妥結を目指す米国が容易に2国間FTAに切り替えることは考えにくい。更には発効から約25年が経過した今日のNAFTAにより、自動車産業をはじめ北米地域のサプライチェーンは既に一体化している。仮にNAFTAを2国間FTAで分割した場合、北米地域での製造は競争力を失うことが予想され、カナダ・メキシコの両国政府だけでなく、米国産業界からも強い抵抗が予想される。
障壁(3):各国批准問題:ウィン・ウィン・ウィンでなければ批准なし
「(アメフトの)エンドゾーンでボールを地面に叩きつけるような行為が最も懸念される」とアルトゥロ・サルカン元駐米メキシコ大使は2018年7月、ワシントン市内の会合で語った。仮に3か国が交渉妥結したとしても署名前に、ないしは署名後でも各国批准前にトランプ政権が勝利宣言を行い、カナダとメキシコは交渉負けしたとアピールした場合、カナダ・メキシコ両国では国内からの反発、合意内容破棄の声が高まり批准が困難になる可能性がある。
今日、メキシコの業界や政府関係者によると、メキシコの自動車や農業などの業界団体は米国の業界団体と連携して、NAFTA再交渉における米国政府の保護主義政策に対抗しているという。米国政府は自国産業やその意を反映した議会の要請に十分耳を傾けず、交渉を行ってきた。カナダ・メキシコ両政府は、自国産業への影響を十分に考慮するため、3か国全てに恩恵をもたらす内容でない限り署名しないことが予想される。従い、トランプ政権が「米国第一主義(アメリカファースト)」のコンセプトを具体化した提案内容で、早期妥結することは容易ではない。
◆NAFTA再交渉に伴う不確実性、交渉長期化で米経済が深手を負うリスク
トランプ政権がNAFTA再交渉を開始してから1年が経過する。当初、約4か月で妥結する目標であったのが、未だに各国の溝は大きく妥結時期は引き続き不透明だ。2008年大統領選でNAFTA再交渉を公約していたオバマ前大統領は、同協定を直接、改定することはなかった。だが、オバマ前政権はカナダとメキシコが参加している環太平洋経済連携協定(TPP)交渉を通じNAFTAの近代化を図り、米企業の競争力を増すことを狙っていた。退任直前の2016年、マイケル・フロマン前米通商代表部(USTR)代表は、ワシントンの会合で「TPPはNAFTAを実質改定する内容であった」と認めている。政権発足直後にTPP離脱を決定したトランプ政権だが、NAFTA再交渉の近代化に関わる章ではTPPでの合意内容を多く盛り込んでいるという。世界各国でFTA網が拡大しTPP11も署名に至る一方で、米国はTPPを離脱した今日、NAFTA再交渉の長期化は米産業界にとって機会損失の拡大をもたらすリスクになっている。
昨今、米国の地元紙に加え、全国紙でも日々、トランプ政権の通商政策によって米企業が被害を受け、雇用喪失をもたらしているエピソードなどが紹介され始めている。米国の雇用そして自らのイメージを最も重視するトランプ大統領は、通商政策に関するネガティブな報道が増える中、NAFTA再交渉の早期妥結によって自らの成果を支持基盤にアピールすることを狙っていると思われる。早期妥結のため、トランプ政権はカナダ・メキシコに対し強硬姿勢をとるのか、あるいは毒薬条項などを撤回し妥協するのか。どちらを選択するかで、米通商政策が米経済に深手を負わせるかどうかを左右することになろう。
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