新NAFTA(USMCA)批准に危機感を募らせる米産業界
2019年01月09日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
北米自由貿易協定(NAFTA)に代わる新協定「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」は、2018年11月30日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで3か国首脳により署名された。トランプ大統領は署名式典で、米議会批准について「大きな問題は想定していない」と語ったが、署名後も同協定の将来は不透明な状況が続く。なぜなら、USMCAは今後、各国の議会批准手続きを経て発効に至るが、米国では2018年11月の中間選挙で民主党が下院を奪還したことで批准がより困難になるからだ。前途多難な議会批准を察したのか、2018年12月1日、帰国途中の大統領専用機「エアフォースワン」の機内で、トランプ大統領はUSMCAの早期批准を目的に現行NAFTAからの離脱を議会に通知する可能性を記者団に明らかにした。大統領が離脱を通知すれば市場は混乱に陥ることが必至だ。2019年1月開会の第116議会での批准の行方を懸念し、一部の共和党議員がまだ共和党が上下両院で過半数を占めるレームダック会期内に強行採決することを主張したが、貿易促進権限(TPA)法のプロセスに反するとの党内反発もあり、共和党指導部は同意しなかった。USMCA批准に懸念が広まる中、2019年、米産業界による米政府や米議会に対するロビー活動が本格化する兆しだ。
◆米議会が懸念を抱くUSMCAの各種条項
トランプ政権はUSMCAへの民主党からの支持確保を狙い、強化された労働分野や環境分野の条項を協定本文に盛り込んだ。だが、USMCA批准は容易ではない。既に民主党のチャック・シューマー上院院内総務に加え、ナンシー・ペロシ下院議長も現状のUSMCAの内容では満足していないことを表明している。一方、共和党は早期批准を望んでいるものの、業界の要望を受けて、水面下で政権に対して様々な懸念事項について調整を要請する可能性があろう。
◆協定の中身以上に政治が障害に
ペロシ下院議長はこれまでの貿易関連法案の採決と同様にUSMCA施行法案採決の際にも、指導部の方針で各議員に賛成票を投じるように働きかけることはしない見通しだ。同下院議長は各議員が地元の選挙区で説明できる政策であればよいと捉えている。従って、民主党自由貿易推進派そして共和党との間で激戦が予想される選挙区出身の一部の民主党議員は賛成にまわる可能性もおおいにある。
だが、民主党は、2020年大統領選前にトランプ大統領に手柄を与えるような行為は避けたいのが本音だ。従って、同大統領が推進する重要法案は民主党が多数派を握る下院での可決は容易ではなく、ペロシ下院議長が本会議で採決を許すまでには時間を要する可能性が高い。特に民主党指導部が採決に時間をかける際に利用すると思われるのが、メキシコの労働問題だ。メキシコの改正労働法についてはUSMCA付属文書で2019年1月1日までに成立することを定めていたが、その期限に間に合わず2019年2月開会のメキシコ議会で採決される見通しだ。更には仮に成立に至ったとしても、今後、民主党はメキシコ政府の同法の施行面を問題視し、施行面が改善されるまでは批准に合意しない可能性があろう。現行NAFTAと比べ、労働面で内容が強化されているのは確かだが、民主党は政治的に共和党大統領が合意した協定をそのまま受け入れることはできず、更なる改善を求めることが必至だ。
今後、民主党はUSMCA施行法案を通じて様々な要件を盛り込み、更にはメキシコそして場合によってはカナダと合意内容を調整、再交渉することを政権に求めるであろう。署名済みの協定文を修正することは難しいことから、最終的に政権は、協定文の本文を修正するのではなく、サイドレター(付属文書)などで対応し、民主党の合意を得ようとする可能性が高い。更には、民主党はUSMCA批准で政権および共和党に協力するにあたって、貿易とは関係ない他の法案などで共和党の協力を得るなどの交換条件を突きつけることも想定される。民主党はトランプ政権に対しUSMCAの一部修正を要請するが、仮に廃案になった場合に民主党が米経済悪化の責任を負うことを恐れている。従って、政権から様々な譲歩を引き出した後、最終的には民主党も批准に合意することが見込まれる。だが、政権がそれに抵抗した場合、批准まで時間を要するリスクがある。
◆トランプ大統領による離脱通知は逆効果の可能性も
2019年末までに議会で批准されなければ、2020年は大統領選に向けて選挙キャンペーンが本格化するため、議会批准は非常に困難な状況に直面する。議会共和党も選挙スケジュールを考慮し、夏季休会に入る前の2019年7月中の批准を目指しており、政権も2019年第3四半期頃までの批准を目指しているという。更には議会批准が長期化した場合に懸念されているのが、トランプ大統領が現行NAFTAからの離脱をカナダとメキシコに通知することだ。トランプ大統領は、離脱通知は政権にとって交渉を有利にすると考えているというが、必ずしもその思惑通りにならない見通しだ。離脱通知によって議会は、北米地域に貿易協定が存在しない状態か、政権が合意に至ったUSMCAか、のどちらかを選択することを迫られる。だが、仮に民主党と共和党の間でUSMCA批准の合意がない状況下で、トランプ大統領が現行NAFTAからの離脱を通知した場合、現行NAFTAにも不満を抱く民主党はトランプ大統領の交渉に応じず、米経済が大混乱に陥るリスクがある。一方、仮に両党がUSMCA批准で何かしら合意しているタイミングで大統領が離脱を通知した場合はUSMCA批准を後押しする可能性がある。とはいえ、米メディア報道によるとライトハイザーUSTR代表は民主党議員に交渉手段として離脱は有効と考えていないことを示唆したという。
2018年末に出馬検討を表明したエリザベス・ウォーレン上院議員に続き、2019年春、民主党候補が続々と2020年大統領選出馬を検討する準備委員会を設立することが見込まれる。ある米テレビ局関係者によると、大統領選出馬を検討する候補者が既に約50人、同テレビ局にアプローチしているという。2020年大統領選には国民の注目が高まりそうだ。この選挙サイクルの影響で、今後、議会での貿易関連法案の可決はますます厳しさを増すであろう。
◆貿易関連法案の票読みは極めて困難
下院では共和党は199議席、民主党は235議席(残り1議席【ノースカロライナ州第9選挙区】は共和党候補が勝利したものの選挙不正行為で係争中)であり、共和党は少数派であることから、ペロシ下院議長をはじめ民主党の協力が不可欠だ。従って仮に下院で共和党議員全てが賛成票を投じたとしても過半数の218人に到達するには民主党議員19人の賛成票が必要である。だが、下院民主党議員がどれだけ賛成にまわるか不透明だ。
また、下院では民主党議員だけでなく共和党議員の票読みも難しい。過去のFTAの採決では180~200票強の共和党議員がFTAの賛成票を投じ、既得権である砂糖産業、アパレル産業、タバコ産業などに配慮することによって最終的な票読みがある程度可能であった。TPAの採決とは別に、FTAに関わる採決は2011年以来、実施されていない。そして下院では当時から半数以上の議員が交代している中、票読みが極めて難しいという。従ってペロシ下院議長が本会議での採決に合意したとしても、批准に必要な過半数を獲得できるかは不透明な状況だ。
◆早期批准に向けて動き出した米産業界
USMCAは域内で新たに関税を導入せず現行NAFTAの近代化が図られ、自由貿易維持を願う米産業界にとって安堵する内容が多く含まれた一方、保護主義的な内容も含まれたことから、米産業界が必ずしも全面的に歓迎できる内容ではない。だが、それ以上に米産業界が懸念するのが、なかなかUSMCAが批准されず、ビジネスの不確実性が長期に渡り続くことだ。過去、米韓FTA、米パナマFTA、米コロンビアFTA、そしてTPPの批准を目指して米産業界では幅広い業界が連携して議会や政権に対しロビー活動を展開したが、同様にUSMCA批准に向けて米産業界は一丸となってロビー活動を展開する見通しだ。
既に全米商工会議所、ビジネス・ラウンドテーブル、全米製造業者協会(NAM)などが連携し「USMCA連合」発足に向けて動き始めている。米メディアによると2019年の最重要アジェンダにUSMCA批准を掲げる全米商工会議所が主導する同連合には30以上もの業界団体が参画し、数週間以内に正式に立ち上がる予定だ。既にUSMCA署名以降、業界団体は批准のカギを握る民主党議員が賛成票を投じるための説得工作の検討を開始している。製造業、農業、サービス産業など各産業により米国内での雇用分布が異なることもあり、その結果、各業界団体が影響力を及ぼせる議員が異なるため、多岐に渡る業界団体が連携することによって、ロビー活動の効果は拡大する。業界団体の戦略としては、民主党議員の支持確保が重要で、以前TPAに賛成票を投じた民主党議員や穏健派の民主党議員などを標的にロビー活動を展開することが見込まれる。また党派を問わず多数の議員が初めてFTAに投票することからも、まずはUSMCAによる自由貿易が地元選挙区の経済や雇用にとっていかに重要であるかについて議員に教育することから手掛ける。そのため、業界団体は会員企業から具体的に自由貿易の恩恵を示す成功事例を集め、各議員の地元選挙区にどれほど貢献しているかを訴える準備を開始している。これらロビー活動は米国際貿易委員会(ITC)がUSMCAによる経済的影響に関する調査報告書を議会に提出してから本格化するであろう。TPAに基づく同調査報告書の提出期限は2019年3月中旬であるが、壁建設予算を巡り政権と民主党が対立して起きた米政府機関の一部閉鎖の影響でその期限が延長される可能性がある。
第116議会において、上院ではUSMCAの優先順位が高い。2018年12月、既に上院財政委員長就任が確実視されていたチャック・グラスリー上院議員は通商政策を司る同委員会の最優先課題はUSMCAだと語った。だが一方、下院では医療政策をはじめ中間選挙で民主党が有権者にアピールした他の公約の実現やロシアゲート問題をはじめ大統領に対する調査が優先され、USMCAの優先順位は低く、批准を急ぐインセンティブに欠ける。今後、米産業界の下院民主党に対する強力なロビー活動により、下院でどれだけその優先順位が高くなり、早期採決に動くかがUSMCAの行方のカギを握っている。先述の通り、今後、徐々に2020年選挙キャンペーンムードが高まり、時間が経過するに連れて議会はUSMCA採決を避けるようになる。トランプ大統領による離脱通知リスクはいまだにあり、USMCAの将来は引き続き不透明感に包まれる状況下、今後、不確実性の長期化が在北米企業活動に影響を及ぼすリスクが高まることが懸念される。
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