トランプ政権下、新たな取り組みを試みる在米企業
2019年05月10日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
1970~90年代の日米貿易摩擦の際にも、多数の日本企業が米国の首都ワシントンに事務所を開設する動きがあった。このワシントン進出ラッシュ開始から約半世紀経った今日、トランプ政権下で再び日本企業のワシントンへの注目が高まっているようだ。オバマ前政権は自由貿易の基本路線を踏襲し、通商政策に関する動きは主に環太平洋経済連携協定(TPP)や一部品目への反ダンピング関税・補助金相殺関税の発動に限られていた。だが、トランプ政権の通商政策は大幅に保護主義に傾斜し、在米企業や経済を直撃。トランプ政権発足以来、ワシントンでは日本企業の事務所開設や増員、機能拡充など新たな動きが見られる。
ワシントンでは現在1万1,000人を超えるロビイストが日々活動している。計算すると連邦議会議員1人あたりのロビイストは20人を超える。だが、トランプ政権下、ロビー活動の手法は変遷している。通商政策では議会の影響力が皆無に等しい案件も多く、従来のロビー活動では期待した効果が得られないことも多い。トランプ大統領が通商政策に関与する度合いが高い中、企業や業界団体は新たなロビー活動に取り組んでいる。
◆政権主導トップダウン通商政策に柔軟に対応する在米企業
トランプ政権下、通商交渉で最終的な判断を下すのはトランプ大統領自身だ。2000年に当時ビジネスマンであったトランプ氏は自著『我々にふさわしいアメリカ』で「私が大統領に当選した場合、自らを米通商代表部(USTR)代表に指名する」と述べていたが、現政権下ではまさにトップダウンで通商政策が実行されている。従来、通商政策に関して政権は議会そして業界からの意見を聞く耳を持っていた。元商務省高官によると、議会議員が政権に対して通商政策に関する書簡を送付した場合、即時に政権は議員に対して何かしら返答していたという。だが、トランプ政権下、状況は大きく異なっている。今日、議会議員が書簡を政権に提出しても政権は即時に対応しないケースが頻発しているという。この不満は民主党だけでなく、トランプ大統領の出身政党である共和党にも共通する。NAFTA再交渉で政権が議会に対し情報提供や協議などを行うことが貿易促進権限(TPA)法で義務付けられているが、法律で定められた最低限の義務だけを果たし、それ以上のことを行わなかったという。ホワイトハウス高官には議会経験者が少なく、議会との関係は希薄といわれている。通商政策では議会職員の経験があるロブ・ポーター秘書官が、2018年2月の辞任前までは議会とのつなぎ役という重要な役割を担っていたが、同氏の辞任によってその連携は弱体化した。
NAFTAに代わる新協定「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」の議会批准などでは、議会が政権に対する影響力を保持しているので、企業は議会を頼りにできる。だが、通商法201条(セーフガード)、通商拡大法232条、通商法301条のような政権の権限で発動可能な多くの貿易救済措置については、議会承認が必要な通商交渉と関連する貿易救済措置でない限り、企業による議会へのロビー活動の効果は限定的だ。貿易救済措置について基本的に企業はUSTRや商務省などの管轄官庁に直接アプローチする必要がある。ただし、従来のように各省庁の担当官にアプローチするのではなく、政治任命された一部の政府高官でなければ効果がない可能性がある。元米政府高官によると、USTRは実質、ロバート・ライトハイザーUSTR代表をはじめ政治任命された4名で意思決定して回しているという。従って、今日、当該4名以外のUSTR職員に情報提供を願い出ても、プレスリリースを参照するよう回答があるだけという。また、従来の米政権では、通商交渉などの政策立案において省庁間で調整を図るプロセスが存在した。だが、業界関係者によると、今日そのプロセスは十分に機能していないもようだ。USTRが政権の通商政策を仕切っているが、トップダウンで通商政策が実行に移されている中、他の省庁がどのような考えを抱いているかについてUSTRは関心がないという。仮に他省庁が不満を抱いている場合は、担当省庁の閣僚からライトハイザーUSTR代表に電話することになっているという。
このようにトランプ政権ではごく一握りの高官によって通商政策が策定されている中、政権に対するロビー活動に、トランプ政権の元幹部やトランプ選挙陣営の元幹部が勤務するロビイング会社などを利用する企業も出てきている。連邦政府向けビジネスで最大手のロッキード・マーチン社はF35戦闘機の高コストについてツイッター上で大統領就任前のトランプ氏から批判を受けた。だがトランプ大統領に近い人物へのアクセス手段がない従来のロビイストでは対応できず、結局、トランプ大統領の元側近バリー・ベネット氏が経営するロビイング会社を頼り事態を収拾したという。トランプ選挙陣営のジム・マーフィー元全国政治部長を、ロビー活動を手掛けるベーカー&ホステトラー法律事務所が採用するなど、今日トランプ政権とのつながりがない多くの大手企業やロビイング会社などの間でトランプ政権元高官の取り合いになっている。
2018年9月、米国の小売産業の業界団体が結成した連合「自由貿易を支持する米国民(Americans for Free Trade)」と米国の農業の業界団体が結成した連合「自由貿易を支持する農家(Farmers for Free Trade)」がトランプ政権の追加関税政策に反対するロビー活動「関税は米中心部を害する(Tariffs Hurt the Heartland)」を開始した。ロビー活動の最終的な狙いはトランプ大統領の通商政策に関する考え方に影響を与えることだ。同活動では、中国との貿易戦争がもたらす悪影響を懸念するテレビ広告を、ホワイトハウスのあるワシントンDCとトランプ大統領が主に休暇を過ごす高級別荘「マールアラーゴ」のあるフロリダ州パームビーチの2か所に絞って放送している。全米小売業協会(NRF)もトランプ大統領が好んで視聴し頻繁に大統領がツイッターで語っているフォックスニュースの「フォックス&フレンズ」で関税反対のテレビ広告を放送している。
◆政権に中長期的戦略不在の中、ビジネス拡大を狙う企業
米産業界は、米中貿易協議においてトランプ政権が、貿易赤字縮小をアピールするために中国の輸入自主拡大(VIE)のコミットメントを得るという目先の成果を追うと予想している。米産業界は中国の国家資本主義問題を解決することを本来は望んでいるものの、短期的なビジネス拡大チャンスもつかもうと各社は既に動き出している。米中が交渉中、各社はUSTR高官そして商務省高官を訪問し、中国が輸入拡大する「買い物リスト」の中に自社商品が確実に含まれるようロビー活動を展開しているという。
トランプ大統領は任期の最初の2年強で支持基盤を拡大する努力をしておらず、今後もこれまでと同様に2020年大統領選に向けて支持基盤のみを重視した選挙キャンペーンを展開することが見込まれる。従って、トランプ陣営は、2016年大統領選で勝敗を分けたウィスコンシン州、ミシガン州、ペンシルベニア州、オハイオ州といったラストベルト地域を2020年大統領選でも堅持し、再選につなぐという選挙戦略をとる可能性が高い。
政権が2020年大統領選に向けて最重視するのがラストベルト地域での雇用だ。従って、米中貿易協議の中国の「買い物リスト」に在米企業各社は上記4州の対中輸出品目をリストアップして政権に提出しているという。大統領選で必ず民主党候補が勝利するようなニューヨーク州などブルーステート(青は民主党を象徴する色)の輸出品目、あるいは必ず共和党が勝利するようなテキサス州などレッドステート(赤は共和党を象徴する色)の輸出品目を政権に差し出しても政権は関心を示さない。ラストベルト地域などの接戦州の輸出品目でなければ見向きもしないという。なお、「買い物リスト」では上記4州の対中輸出品拡大のため、中国側の関税引き下げや政府許認可の取得など米企業にとっての貿易障壁撤廃も合わせて企業は要望しているという。
◆USMCA早期批准に向け戦略的に動く企業
NAFTA再交渉中、保護主義政策を盛り込もうとするUSTRに対し、自由貿易推進派の業界関係者の多くからUSTRは業界の意見を十分に聞いていないとの批判があった。だが、USMCA署名後、業界の支持がなくては議会批准ができない中、急遽、トランプ政権は業界訪問を開始し支持を訴えるようになった。また、業界もUSMCA支持に動いている。USMCAは域内で新たな関税を導入せず現行NAFTAの近代化が図られ、自由貿易維持を願う米産業界にとって安堵する内容が多く含まれる一方、原産地規則などで保護主義的な内容も含まれ、米産業界が必ずしも全面的に歓迎できる内容ではない。だが、それ以上に米産業界が懸念するのが、なかなかUSMCAが批准されず、ビジネスの不確実性が長期にわたり続くことだ。また批准が長期化すれば、米産業界に致命的なダメージを与えかねないトランプ大統領によるNAFTA離脱通知のリスクが高まることを業界は恐れている。そのため、現在は大半の企業がUSMCAの早期批准を支持している。USMCA批准プロセスの長期化に懸念が広まる中、2019年春以降、米産業界による米政府や米議会に対するロビー活動が本格化している。全米商工会議所が2019年に取り組む最重要事業もUSMCAの議会批准に向けたロビー活動だ。
署名されたUSMCAは一部の米業界関係者の間で、「米史上、最も未完成の貿易協定」と呼ばれている。トランプ政権は有権者に成果をアピールすることを優先するために、早期妥結を優先し、交渉で詳細を詰めていないケースが散見されるという。例えばUSMCAで合意に至った原産地規則については、労働価値割合(LVC)の定義、そしてLVCの認証方法などいまだ確定していない内容が山積している。そういった中、在米企業各社はUSTRにアプローチし、自社への悪影響を限定的にすることを目的に、協定の詳細規則の作成に参画しようとロビー活動を展開している。つまり、USMCAによる企業活動への影響はいまだ不透明というリスクが存在する一方、企業は政権へのロビー活動によって自社に有利な状況へと導く機会が多く残されているともいえる。
「ワシントンは人間関係が何重にも積み重なって成り立っている都市だ。」あるベテランロビイストはこのように語る。ワシントンのロビイストの間でよく言われるのが、問題が起きてから議会議員や政府機関に助け舟を求めても相手にしてくれないことだ。また、自社が活発に動かなければ、同業他社が先に同社に都合の良いような法案、規制、政策の策定に関与してしまうとも言われている。このようなワシントンでのロビー活動の鉄則は不変だが、トランプ政権下、上述の通り通商政策で影響力を発揮またはリスクを回避するには企業は新たな取り組みを試みる必要があろう。2020年大統領選に向け、トランプ大統領は目に見える成果を狙う中、これまで以上に通商政策の不確実性が高まる。ワシントンでの企業活動はさらに重要性を増すことと思われる。
記事のご利用について:当記事は、住友商事グローバルリサーチ株式会社(以下、「当社」)が信頼できると判断した情報に基づいて作成しており、作成にあたっては細心の注意を払っておりますが、当社及び住友商事グループは、その情報の正確性、完全性、信頼性、安全性等において、いかなる保証もいたしません。当記事は、情報提供を目的として作成されたものであり、投資その他何らかの行動を勧誘するものではありません。また、当記事は筆者の見解に基づき作成されたものであり、当社及び住友商事グループの統一された見解ではありません。当記事の全部または一部を著作権法で認められる範囲を超えて無断で利用することはご遠慮ください。なお、当社は、予告なしに当記事の変更・削除等を行うことがあります。当サイト内の記事のご利用についての詳細は「サイトのご利用について」をご確認ください。
レポート・コラム
SCGRランキング
- 2024年11月18日(月)
『Quick Knowledge 特設サイト』に、当社シニアエコノミスト 鈴木 将之のQuick月次調査・外為11月レビューが掲載されました。 - 2024年11月15日(金)
TBSラジオ『週刊・アメリカ大統領選2024(にーまるにーよん)』TBS Podcastに、米州住友商事会社ワシントン事務所調査部長 渡辺 亮司が出演しました。 - 2024年11月14日(木)
『日本経済新聞』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行のコメントが掲載されました。 - 2024年11月13日(水)
『朝日新聞GLOBE+』に、米州住友商事会社ワシントン事務所調査部長 渡辺 亮司のインタビュー記事が掲載されました。 - 2024年11月8日(金)
NHK World 『Newsline』に当社シニアアナリスト 浅野 貴昭が出演しました。