サウジアラビアとイランの国交断絶とその影響
調査レポート
2016年01月12日
住友商事グローバルリサーチ 国際部
広瀬 真司
概要
2016年1月2日、サウジアラビアは、47人の死刑囚に対する死刑を執行したことを発表した。その47人の中には、2012年7月に逮捕され、2014年10月に死刑判決が出されていたシーア派宗教指導者であるニムル・アルニムル師が含まれていたが、同師に対する死刑執行に反発したイラン国民が暴徒化し、テヘランのサウジ大使館を襲撃したとされる。外国公館を守るべきイラン政府が、この事態をきちんと取り締まらなかったとして、1月3日、サウジのジュベイル外相はイランとの国交断絶を発表。サウジ国内にいるイラン外交団全員に対して、48時間以内の国外退去を求めた。翌4日には、サウジの影響力の強いバーレーンもイランとの国交を断絶、UAEは駐イラン大使を本国に召還し外交関係を降格、スーダンも国内にいるイラン外交団に国外退去を求めた。その後、ジブチも国交を断絶、クウェートやカタールも駐イラン大使の召還を発表し、周辺各国からイランへの非難が相次いだ。
1. 経緯
1月2日にサウジ政府が死刑執行を発表した47人のうち、43人はイスラム教スンニ派のアルカイダ系テロリストで(サウジ人41人とエジプト人、チャド人それぞれ1人)、残り4人がシーア派サウジ人であったとされる。アルカイダ系テロリストのほとんどは、2003年から2006年にかけてサウジ国内で発生した無差別テロ事件に関与した者である。
ニムル師はサウジ東部に住むシーア派(全人口の10~15%)の権利拡大や、民主的に指導者を選ぶべく選挙の実施を要求してきたが、サウジ政府に批判的な発言をしたとして2000年代にも数回当局に逮捕されている。ニムル師は、シーア派居住地域であるサウジ東部とシーア派が多く住むバーレーンを統合して独立させるという構想を持っていたとも言われており、分離独立主義者として治安部隊から目を付けられていたようである。2012年に逮捕される直前のスピーチでは、同年6月の皇太子兼内相であったナイフ王子の死を「喜ぶべきこと」と発言している。今回の死刑を執行したのがナイフ王子の息子であるムハンマド・ビン・ナイフ現皇太子兼内相であるのは、因縁と言えるのかもしれない。一部メディアによると、サルマン国王が自分の息子であるムハンマド・ビン・サルマン副皇太子ばかりを重用するのに対し、ナンバー2であるムハンマド・ビン・ナイフ皇太子が自らの権力誇示のために今回の死刑執行を行ったという噂もあるが、真偽のほどは定かではない。
ニムル師の死刑執行に対して、周辺国のシーア派指導者たちが非難声明を出している。イランでは、ハメネイ最高指導者が、「ニムル師は武器を取って戦ったわけでもなければ、そのような計画を立てたわけでもない。彼がしたのは政府批判のみだ。サウジアラビアは神の報復に直面するだろう」と強い言葉でサウジを非難。片や、穏健派のロウハニ大統領は、ニムル師の処刑を「非イスラム的であり非人道的」と非難したが、同時に外国公館の安全を守るのはイラン政府の役目であるとし、サウジ大使館を襲撃した暴徒40人以上を既に逮捕し、彼らには法の裁きを受けさせると発言、騒ぎを鎮静化しようとした。シーア派が主導権を握るイラクでは、アバディー首相が、今回の処刑が地域の不安定化につながる懸念を表明し、マリキ前首相も強い言葉でサウジ政府を非難した。レバノンのシーア派組織ヒズボラのナスラッラー議長は、「サウジは宗派抗争を激化させようとしているが、この誘いに乗ってはいけない」と宗派対立に煽られないよう支持者に自制するスピーチをしている。一方、ロシアのラブロフ外相は、「2国間の国交断絶は重大な問題であり、ロシアが仲介する用意がある」と発言。なお、今回の死刑執行に対する抗議デモはイランにとどまらず、シーア派の多く住むサウジ東部やイラク、バーレーン、さらにはトルコ、レバノン、パキスタンにまで広がっている。イラクでは、サウジとの国交断絶を求めるデモも発生している。
ニムル師の甥のアリー・アルニムル氏も、2011年のデモ行進に参加したとして2012年に逮捕されており、2014年に死刑判決が出ている。同10月に彼に対する死刑執行予告が発表されたが、アリーは逮捕当時17歳の未成年だったこともあり、欧米諸国や国際団体から死刑を執行しないよう特に強い圧力が掛かり、死刑執行が延期された経緯がある。
ちなみに、サウジアラビアの2015年1年間の死刑執行数は150人を超える。これは過去20年間で最高の人数であり、2014年の死刑執行数が90人だったことから、サルマン国王になってから死刑執行数は増加傾向にあると言える。1日に死刑執行された人数という意味でも、今回の47人というのは非常に多く、25年以上前の1980年にメッカのグランドモスク占拠事件に関わった63人に対して行われた処刑以来である。
1月4日、サウジはイランとの全てのビジネスを断絶することを宣言し、イランとの直行便や、全ての人とモノの往来を停止した(メッカ巡礼者は別)。サウジは他のスンニ派諸国にも同調するよう要請し、サウジへの軍事・経済的依存度の高いバーレーン及びアフリカの小国ジブチは、サウジの方針をそのまま受け入れ、イランとの国交を断絶した。UAEは歴史的にイランとの経済関係も強く、これからイランの制裁解除に向けてイランとのビジネス拡大が見込まれる中で国交を断絶するわけにはいかず、外交関係のダウングレードを発表。クウェート及びカタールは、大使を召還することでサウジとの同調姿勢を見せている。スーダンはサウジからさまざまな財政支援を受けており、2015年はイエメンへの地上軍派遣要請にも応え、今回も素早く在スーダンのイラン外交団退去の措置を取った。同様にサウジから多額の支援を受けているエジプトやヨルダンは、ニムル師処刑に対するイランの過剰な反応を非難。トルコのエルドアン大統領も、ニムル師の処刑はサウジの内政問題であってイランが関与すべきことではないとし、シリアでアサド政権を支持し続けるイラン政府をけん制した。オマーンのカブース国王は全方位外交を標榜しており、サウジに同調してイランを非難したものの、特段イランに対する措置は取らなかった。オマーンは、米国や国連がイランに制裁を課している最中もイランとの関係を保ち続けてきた歴史がある。
【図表1】サウジアラビア、イラン断交後の中東各国の対応
2. イラン革命以降のサウジ-イラン関係
近現代に入ってサウジとイランの関係がこじれ始めた契機は、1979年に起きたイラン革命である。それまではイランもサウジ同様王制を敷いており、親米、反共産主義ということで利害が一致していたが、革命でイランの王制が転覆され、シーア派の宗教権威が国家体制を引き継いだ。イランは周辺国にいるシーア派と協調し、他国でも王制を打倒しイスラム革命を起こすよう影響を与え始めたので、自国にも王政打倒の波が及ぶのではないかと恐れたサウジは、スンニ派諸国との連携を強化するよう動き、湾岸の王制・君主制国家群と同盟を組んで1981年に湾岸協力会議(GCC)を立ち上げた。1980年代のイラン・イラク戦争時には、サウジはイランをたたくべくイラク側を支援し、1987年にはイラン人のメッカ巡礼者とサウジ治安部隊が衝突した事件により、1988年から約3年間にわたってサウジはイランとの国交を断絶した前歴がある。
2011年に始まった「アラブの春」デモでは、シリアにおいて反政府側を支援したサウジに対して、イランはアサド政権を支持し、現在まで内戦状態が続いている。2011年にシーア派による反政府デモが激しくなったバーレーンにおいては、サウジが軍隊を派遣しシーア派のデモを武力で抑えつけた。イエメンにおいても、イランが支援しているとされるホーシー反体制派に対し、2015年からサウジが空爆及び地上軍の派遣を行っている。さらに、2015年のメッカ巡礼時期に起きた将棋倒し事故では、イラン人巡礼者464人が犠牲となり、責任の所在をめぐりサウジ政府とイラン政府が非難の応酬を行った。イランと欧米諸国の核合意をめぐっては、長年サウジの友好国であった米国がイランになびき始めていることや、制裁解除後のイランが国力を増強し周辺国にいるシーア派への支援を加速させるのではとサウジは警戒を強めている。
3. 今後に与える影響
両国の断交騒ぎ発生以降、サウジはGCCやアラブ連盟の会合を開催して、イランを共同非難するなどスンニ派諸国との結束を確認。2015年12月に、主にスンニ派諸国が参加する「イスラム軍事同盟」を結成。スンニ派諸国との同盟関係を強化し、イランを封じ込めようとする動きがここのところ目立っている。また、サウジとイランの衝突でスンニ派とシーア派の対立の構図が鮮明になることで、国内に宗派問題が存在するイラクやバーレーンなどの情勢不安定化も懸念される。
サウジとイランの対立激化は、現在進行中のシリア和平会議にも影響を及ぼすと考えられる。シリア問題の解決をめぐっては、アサド大統領の処遇、シリア北部に住むクルド人への対応、有象無象の反体制派グループ自体が一つに纏まらないこと、和平を支援する大国側が反体制派の各グループの色分けを明確にできていないことなどが原因で和平協議も膠着状態であったが、ようやく2015年10月にアサドを擁護するイランと、反体制派を支援するサウジの両国が同じ交渉の席に着いた。12月にはサウジ主導で、アサド政権との直接交渉に向けて多数の反体制派グループの意見を纏めあげた(ただし主要なクルドグループ、ヌスラ戦線などは含まず)。2016年1月下旬にもアサド政権との和平交渉が予定されているが、サウジとイランが国交断絶状態にある中で、果たして交渉がうまくいくのかどうかが懸念される。イエメン内戦においても、ハーディ大統領勢力を支援するサウジと、ホーシー反体制派勢力を支援するイランの停戦交渉が2015年末にも行われたが、交渉は纏まらず、また交戦状態に戻ってしまっている。
最後に、イランの核合意(JCPOA)に対する影響であるが、両国の国交断絶が核合意に直接的に与える影響は、かなり限定的であると考えられる。そもそも、イランの核合意においてサウジは当事者ではない。サウジはイランの国際社会復帰を妨害するため、米議会に働きかけて核合意をつぶそうとしてきた経緯があるが、サウジは米議会においてそれほどの影響力を持っておらず、その努力はこれまでのところ実を結んでいない。もう一方の核合意反対勢力であるイスラエルも、米議会への影響力を駆使して核合意を阻もうと画策したが、これも今のところ目に見える成果は出ていない。欧米諸国がイラン核合意の経済的恩恵を受けようと既に前向きに動き出している現状下で、サウジがイラン核合意に待ったをかけるのは難しいと思われる。
以上
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