新自由主義の終焉と今後の課題~チリ

2021年12月27日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
小橋 啓

(2021年12月21日執筆)

概要

 チリは、かつては新自由主義に基づいた堅実な経済政策や安定した政治システムにより、南米の優等生と言われてきた。しかし、2年前の大規模な反政府デモを契機に、これまでの国内の格差に対する不満が顕在化し社会問題になっている。現在進められている憲法改正の草案をまとめる議員選挙で左派系議員が多く当選したほか、大統領選挙でも、左派のガブリエル・ボリッチ氏が極右のホセアントニオ・カスト氏を破り次期大統領になることが決定した。今後、新自由主義からの転換や国内重視の政策対応などの政治的リスクの高まりから、チリへの投資にはこれまでとは異なる新たな課題が意識され始めている。

 

 

1.格差の社会問題化とその背景

 チリは、世界で最も早く経済政策に新自由主義を取り入れた国として知られる。1980年、社会主義政権を崩壊させ政権を掌握したピノチェト将軍らが、米国で新自由主義を学んだエコノミストらに国の経済再建 、資本主義経済復興を託し、市場原理を導入し企業の民営化を推進した。その後、これまで一貫した新自由主義政策の実践により、安定した政治社会システムと堅実な経済政策運営を維持し、南米の優等生として、海外からの投資も集めてきた。

 しかし、2019年10月、サンティアゴ地下鉄の運賃値上げを契機としたデモは、すぐに鎮静化するとみられていたが予想外に国全体に拡大した。それまで国際社会から評価されていたものの、実際のところは国内で経済・社会状況への不満が募っており、それらが一気に顕在化することになった。デモは非常事態宣言が出されるほど大規模なものとなり、予定されていたAPECやCOP25などの国際会議も開催辞退に追い込まれるほどだった。デモは収束したものの、政治的には不安定な状態が続いており、次期大統領選挙においても、現政権の中道右派政権が敗退して、極右と左派の決選投票になるなど、これまで新自由主義のもとで保ってきた安定が大きく揺らいでいる。

 ここで、これまでも存在したチリ国内における不公平感や格差が、一気に噴出した背景についてみてみる。順調に経済成長を果たしてきたとみられていたチリも、2014年以降は経済成長率が鈍化しており、個人の所得にもつながる1人当たりGDPも伸び悩んでいたことが挙げられる。所得格差を表すジニ係数[*1]もみてみると、0.46となっており、OECD諸国の中ではコロンビア、コスタリカに次いで高くなっている。南米においては突出して高いわけではないものの、近年は格差の解消が停滞していることから国内で不満が高まっていたようだ。またチリの年金制度はピノチェト将軍の時に確定拠出型が主流になっていたが、これも個人間の格差を助長し、社会・世代間での平準化が実現できず、不公平感をより強める結果になったとみられる。

 

図1:実質GDP成長率推移(%)(出所:世界銀行よりSCGR作成)、図2:1人当たりGDP推移(USD)(出所:チリ中央銀行、IMFよりSCGR作成)

 

図3:主要国のジニ係数(出所:OECDよりSCGR作成)、図4:南米主要国のジニ係数推移(出所:世界銀行よりSCGR作成)

 

 2018年以降にチリの成長が抑えられた原因は米中の貿易摩擦も大きく関わっていた。チリ経済は銅や食品加工品の輸出を中心としたモノカルチャー経済であり、特に前者は輸出の約半分を占める。また、輸出先は中国に大きく偏っており、中国経済の成長鈍化を受け銅価格が下落したことは、チリ経済にとって大きな打撃となり、さらに産業構造上の脆弱性を露呈することになった。

 

 

2.不確実性の高まり

 デモの結果として、多くの国民が求めたもののひとつが、新憲法の制定だった。現行憲法では、国の役割が限られ、市場経済を重視する小さな政府が前提になっている。これは民間の経済を中心にチリが大きく経済成長を果たした要因になった一方で、既得権益を支え、新陳代謝を阻害し、格差を助長した原因とされた。現在、憲法改正に向け議論が進んでいるが、改憲の草案をまとめる議員は、2021年5月の選挙において国民の賛同を追い風に、これまでの中道右派政権に対し、左派が多くの議席を獲得した。また、政党に属していない無所属の議員も多く、新憲法起草に不確実性が高まっているとされる。2022年半ばには、作成された新憲法についての国民投票が実施されることになっている。憲法改正によってチリの主要産業である鉱業への課税強化やロイヤリティの引き上げなどが懸念されており、銅やリチウムといった重要鉱物のコスト増や不安定な供給につながる可能性が指摘されている。

 大統領選挙においても、中道右派の候補者は早々に敗れ、決選投票の結果、左派のガブリエル・ボリッチ氏が極右とも評されるホセアントニオ・カスト氏に勝利した。これまで新自由主義のもと政治的には安定が続いていたが、ボリッチ氏は脱新自由主義や国内重視の政策対応などを掲げており、政治的リスクが高まってきている。上述の鉱山会社へのロイヤリティ引き上げの他、年金制度改革や富裕層への増税などによる格差の是正、TPPの条件見直しなど国家による経済への介入強化が行われる可能性も指摘される。一方、議会においては左派と右派が拮抗していることから、改革が思ったように進まないことも考えられ、そうなれば再びデモの暴徒化など社会の不安定化も危惧される。

 2021年のチリの経済成長は10%を超えるとみられている。パンデミックにより大きく落ち込んだ2020年の反動と、銅価格が上昇したことによる影響が大きく、また、パンデミックへの緊急の対策として年金の早期取り崩しを可能にしたことが、内需を拡大させて高成長につながった。しかし、2019年のデモで露呈した社会問題や経済構造については解消されておらず、今後の成長に課題を残した。チリの経済構造は上述の通り、銅の輸出や、食品加工品(魚介類、農産品)への依存度が高くなっており、他の産業はまだ十分に育っている状況にはない。労働者の受け入れ余地の小さなことが、国内の格差是正が進まない原因にもなっており、また付加価値創造にもつながっていない。多くの国から資金を呼び込みたいものの、近年チリ国内への直接投資については、鉱山などの資源への投資が減少していることから全体としては減少傾向にある上、また、証券投資についても減少が目立っているように、国内市場からの資金流出が増えていると考えられる。為替相場においてもペソ安が進むなど、不確実性の高まりを受けたリスク回避の動きが進んでいる。

 

図5:四半期GDP成長推移(%)、図6:直接投資/証券投資推移(百万ドル)(出所:チリ中央銀行よりSCGR作成)

 

 

3.注目分野

 一方で、チリは、地理的優位性を生かしたクリーンエネルギー分野に注力している。近年では太陽光発電と風力発電が電源構成の中でシェアを伸ばしてきており、日本企業の出資も目立つ。また、脱炭素化に向けて、2025年までに電気分解による水素の製造量を5ギガワットに増加させるなどの「グリーン水素国家戦略」[*2]の発表や、リチウムなど豊富な資源についても開発の対外開放を表明するなど資金・技術の受け入れ姿勢を示しており、今後の資金呼び込みの原動力になる可能性がある。政権交代後は、クリーンエネルギー分野にさらに公的資金の支出を強化するとみられるものの、国外に対する投資受け入れ姿勢はまだ明らかではなく、期待されるリターンが得られる投資先になるかなどは慎重な見極めが必要であろう。

 

図7:チリの電源構成(出所:チリ発電局よりSCGR作成)

 

表1:リチウム、銅の主要国の埋蔵量(出所:USGCよりSCGR作成)

 

 

4.まとめ

 チリは、不公平や格差など従来からあった社会問題の顕在化や、政治的な混乱などにより、これまでのように安心、安定した投資先として考えることが難しい状況になりつつある。しかし、再生可能エネルギー発電やリチウムなどに代表されるように国を挙げて注力しているグリーン分野など、海外からの期待がなお高い分野もある。これまで続いた新自由主義からの政策転換が投資にどのような影響を与えるのか、また新たに生じる課題は何かなどを意識しながら、より慎重なスタンスが必要になりそうだ。

 

以上


[*1] 1が最も不平等で、0が完全に平等を示す。

[*2] 2020年11月、チリのエネルギー省は①2030年までに世界一安価なグリーン水素を生産する体制の構築②2040年までに世界トップ3の水素の輸出国③2025年までに電気分解による水素の製造量を5ギガワットに増加の方針を示す。今後20年間で国内に10万人規模の雇用機会の創出と、2,000億ドル規模の投資を見込む。

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