シナリオ修正に迫られるドル円相場

2022年03月10日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之

2022年3月7日執筆

概要

 2022年の世界経済の前提条件は、ロシアのウクライナ侵攻によって大きく変わった。それまで、米国の金融引き締めを背景に、ドル円レートは当面、円安・ドル高方向で推移するとみられていた。しかし、ウクライナ危機によってエネルギー価格が高騰し、家計や企業が慎重姿勢に転じ、景気減速懸念も高まっている。当初の想定よりも早い時期に、米国の金融引き締めの減速もしくは終了も否定できない。現時点で確かなことは、先行きの不確実性が高まったことだ。事態の落ち着きどころを探っている状況であり、新たな2022年の世界経済のシナリオが描けるまで、ドル円レートも不安定になる恐れがある。

 

 

1. 当初の金融正常化シナリオ

 2022年の世界経済の前提条件は、ロシアのウクライナ侵攻によって、大きく変わった。2月中旬までは、市場の最大の関心は、米国の金融引き締めだった。しかし、2月24日にロシアがウクライナに侵攻したことで状況は一変し、投資マネーの流れが変化、エネルギーなどの価格が高騰した。米金融政策が引き締め方向にあることは事実であるものの、世界経済の減速懸念をはじめとして多くのリスクが浮上しており、2022年の世界経済を見通す上での前提条件は様変わりした。

 

 まず、前提条件が変わる前の状況を整理しておく。連邦準備制度理事会(FRB)は3月、量的緩和の縮小を完了するのと同時に、利上げを実施する構えだ。パウエルFRB議長の3月上旬の議会証言から、そうした方針に変わりないことが確認できた。むしろ、パウエル議長が0.25%の利上げを支持すると明言したことで、0.25%利上げに市場の想定を集約させようとする意図もみられた。

 

 メインシナリオは、年内に利上げを数回実施、年半ば以降にバランスシートの縮小を開始するというものだ。バランスシートの縮小ペースは前回の縮小時よりも速く、パウエル議長の発言を踏まえると、3年程度で終える見通しだ。これからの情勢変化によって、この2022年の想定シナリオがどのように修正されていくのかという視点が重要だ。

 

 

2. ウクライナ危機シナリオ

 ロシアのウクライナ侵攻で前提条件は大きく変わった。米欧など各国・地域がこれまで以上に厳しい対ロシア制裁に踏み切り、複数の企業もESG投資の観点などからロシア撤退を表明するなど、ロシアが事実上世界経済から切り離されつつある。その影響は、投資マネーの動きやエネルギー市場の需給など、広範に及んでいる。

 

 特に、エネルギー価格の上昇が足元では再加速しており、物価上昇率が減速する時期が後ずれしている。つまり、金融政策で物価上昇の加速に対応するならば、引き締めペースも加速したり、長期化したりする可能性がある。一方で、物価上昇と景気減速によって、当初の想定ほど引き締めを実施できないことも考えられる。また、米利上げに伴うドル買いに加えて、有事のドル買いや円買いが発生することも想定される。こうしたことを踏まえると、円高・ドル安圧力と円安・ドル高圧力の綱引きで、ドル円相場が再びこう着することもありうる。

 

図表① 為替レート(出所:日本銀行・日本経済新聞社、Bloombergより住友商事グローバルリサーチ (SCGR)作成)図表② 購買力平価(PPP)(出所:総務省、内閣府、日本銀行、BLS、BEAよりSCGR作成)

 

 このように、2022年の世界経済は、新型コロナウイルスの感染収束に伴う経済活動の再開、物価上昇の加速に対応する金融政策の引き締めとともに、ロシアのウクライナ侵攻による世界経済の前提条件の変化に直面しており、ドル円も、円高・ドル安、円安・ドル高、横ばいのいずれのシナリオもありうる。

 

 

3.先行きの不確実性が高いことは確実

 図表①のように、ドル円相場は、2021年には円安・ドル高方向で推移したものの、過去に比べて1ドル=105~115円と10円程度の狭いレンジを推移してきた。2021年後半から2022年2月中旬にかけて、米金融引き締めが視野に入り、1ドル=115円前後へと円安・ドル高方向になった。2月下旬のロシアのウクライナ侵攻以降、一時円高・ドル安方向に振れたものの、3月上旬にかけて115円前後の動きとなっている。

 

 一方、物価上昇率の加速が意識されている中、図表②のように、日米の物価上昇率の差として定義される、いわゆる一物一価の法則である購買力平価に基づくと、足元のドル円レートは購買力平価の想定値から円安・ドル高方向に振れている。米国の約40年ぶりの消費者物価上昇率の加速によって、米ドルの価値が損なわれるため、理論的には、円高・ドル安になると想定されるためだ。購買力平価はあくまで長期的なトレンドであり、過去を振り返ると、短中期的にはドル円レートが購買力平価の理論値に収れんする時期と、乖離を続ける時期がある。足元は、ドル円レートが足元から乖離して推移する時期にあるようだ。

 

 もちろん、ドル円レートは、様々な要因によって変化する。図表③のように、短期から長期まで影響を及ぼす経済ファンダメンタルズを表す変数を加味して、ドル円レートを要因分解してみた。ここでは、ドル円レートの推計にあたって、関数のパラメータが異なる2つの状態(レジーム)を仮定している。推計した2つのレジームを比べて、日米実質金利差のパラメータが統計学的に有意で、ドル円レートへの影響力が大きいケースを「金利のレジーム」、マネタリーベースのパラメータが統計学的に有意でドル円レートへの影響力が大きいケースを「量(マネタリーベース)レジーム」と解釈した。この結果に基づくと、足元では、「金利のレジーム」にあるとみられ、量的・質的金融緩和は、当初の量的なものではなく、イールドカーブコントロール(YCC)の導入によって、金利を抑える政策が継続していることを表している。実際、2月には長期金利が上昇したことを受けて、日本銀行は指し値オペを実施した。

 

 ドル円レートの要因をみると、日米実質金利差が円高・ドル安要因となっている。名目金利では米国の方が日本よりも高いものの、米国の消費者物価指数の伸び率が大きいため、実質金利では米国の方が日本よりも低くなっているためだ。日本の実質金利の方が高いため、円高・ドル安要因となる。

 

 その一方で、購買力平価(PPP)要因が円安・ドル高方向に作用している。購買力平価は前述のように、乖離して推移する時期とみられ、長期的な関係として想定される円高・ドル安圧力とは反対方向に影響している。

 

 また、日本の貿易赤字が継続する中で、経常黒字が伸び悩んでいることもあり、リスクプレミアム要因は円安ドル高方向に作用している。経常黒字であれば、外貨建ての対外資産が増加し、その外貨を円に替える需要が高まるためだ。しかし、足元では、貿易赤字であり、実需の円需要は勢いを欠いている。

 

図表③ ドル円レートの要因分解(出所:財務省、総務省、日本銀行、BLS、FRBよりSCGR作成)

 

 さらに、マネタリーベース要因は、日本銀行が金融緩和を継続する一方で、FRBが量的緩和を段階的に縮小させたので、円安・ドル高圧力になっている。ただし、日本銀行の金融緩和は量によるものではないため、FRBが量的緩和を段階的に縮小させてきた中でも、円安・ドル高圧力はあまり強くなかった。

 

 このように、足元では円安・ドル高要因が相対的に強くなっている。先行きについても、同様の傾向が続く可能性がある。米国の金融引き締めは既定路線であり、日米の実質金利差がさらに拡大する見通しだ。また、エネルギー価格の高騰もあり、当面日本の経常収支は伸び悩むだろう。こうした状況を踏まえると、経済のファンダメンタルズの基調として、円安・ドル高圧力が継続するとみられる。

 

 一方で、前提条件が崩れていることを踏まえると、反対に円高・ドル安圧力が強まることも想定される。エネルギー価格の上昇を受けて消費者物価指数がさらに加速すれば、個人消費に下押し圧力をかけるだろう。ウクライナ危機で企業マインドも悪化している。資金調達環境の変化とともに、事業戦略の見直しに迫られ、設備投資にも慎重になるだろう。また、消費者物価の上昇に対応するために、金融の引き締めペースを速めることも想定される。これらは、景気減速につながる要因である。従来の金融引き締めで想定されていた時期よりも早く、景気が減速し始める恐れがある。それに伴い、米国の金融引き締めも減速、もしくは終了する可能性がある。

 

 実際、図表④のように、国際通貨基金(IMF)の世界経済見通しの前提条件である原油価格は、全く異なるものになる可能性が高い。見通しの前提条件が変わってしまったため、現時点では世界経済がどこに落ち着くのかコンセンサスを探っている状況だ。ウクライナ危機の推移次第であるため、現時点で確実なことは、先行きの不確実性が高まったということだ。世界経済の変調や米金融引き締め路線が修正されることで、円安・ドル高が修正されることもありうる。当面、状況にしたがって、円安・ドル高か円高・ドル安かの方向感を見出すことになるのだろう。

 

 以上を踏まえると、今後、米国の金融引き締めを背景とした円安・ドル高方向が想定される一方で、景気が減速すれば円高・ドル安方向への調整もありうる。図表⑤ように、ドル円レートは当面1ドル=115前後を中心に、米国金融引き締めにともなって、円安・ドル高方向に当面推移するとみられる。その後は、状況次第であり、円安・ドル高基調となったり、円高・ドル安方向に転じたりすることに備えておくことが重要だと考えられる。

 

 

図表④ GDP成長率と原油価格(出所:IMFよりSCGR作成)図表⑤ 為替レートの見通し(出所:図表③の出所を参照)

 

以上

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