フィリピン大統領選:マルコス=サラのコンビが圧勝
2022年05月13日
住友商事グローバルリサーチ 国際部
石井 順也
2022年5月12日執筆
概要
- マルコス元上院議員が大統領選、サラ・ドゥテルテ・ダバオ市長が副大統領選で圧勝。
- 経済政策の詳細は不明だが、ドゥテルテ政権の路線を継承し、インフラ整備と外資導入を重視する見通し。
- 外国投資家が抱く負のイメージを払拭できるか、中国と米国との関係をどのようにマネージするかに注目。
1. 大統領選
フィリピンでは5月9日に大統領選が行われ、フェルディナンド・マルコス・ジュニア(通称「ボンボン・マルコス」)元上院議員が他の候補に大差をつけて勝利した。また副大統領選では、マルコス氏とタッグを組んだサラ・ドゥテルテ・ダバオ市長(ドゥテルテ大統領の長女)がやはり大差で勝利した。[*1]いずれの候補も過半数の票を獲得する見込みだが、そうなれば、1986年の民主化運動(エドサ革命)以後初めてのことになる。また正副大統領が同じ陣営から選ばれるのは2004年以来となる。[*2]両氏は6月30日に就任する。
マルコス氏は、1986年にエドサ革命で退任に追い込まれたマルコス元大統領の長男である。国民によって追放された独裁者の子が支持されるのは意外にも見えるが、マルコス氏は、ソーシャルメディアを活用し、父親と異なるソフトなイメージを打ち出して、若い世代の支持を得ることに成功した。[*3]マルコスの独裁は40年近くも前のことであり、若い世代にはその頃の圧政や人権侵害の記憶がなく、父の時代の美化を含めた広報が受け入れられたことも大きかったとみられる。
実際のところ、マルコス政権は農地改革やインフラ整備で一定の成果を上げ、貧困層や地方への支援を重視した面もあり、国民の一部には今なおその統治を評価する声がある。[*4]このため、主に都市中間層を支持基盤とするその後の政権や、レニ・ロブレド副大統領をはじめとする今回の大統領選の他の候補者たちよりも、マルコス氏に親しみを感じ、期待をかける有権者も多かったようである。さらに副大統領候補となったサラ氏は、父親同様、国民的な人気があり、ダバオを中心にミンダナオ島に強固な支持基盤をもち、ルソン島北部を地盤とするマルコス氏を補完する役割を果たした。[*5]
2. マルコス新政権
マルコス氏は、具体的な経済政策を語っていないが、ドゥテルテ政権の政策を継承する方針を示している。2016年に発足したドゥテルテ政権は、インフラ整備と外資の導入を重視し、規制緩和や税制改革などを実現し、新型コロナウイルス感染拡大前の経済成長率は+6~7%台の高い水準を持続させ、2019年に一人当たりGDPは3,500ドルを超えた(下図参照)。コロナの影響により、2020年と2021年の成長率は落ち込んだが、足元では経済回復が進み、2022年は+6~9%の成長が見込まれている。[*6]マルコス氏がドゥテルテ政権の路線を踏襲すれば、かつての成長軌道に戻る可能性は十分にある。
一方、独裁者だった父親のイメージは、マルコス新政権が外資を呼び込む上で、大きな課題になると予想される。マルコス氏がそうした懸念があることを認識して、人材の起用や政策において公平で合理的な姿勢を示し、人権侵害、腐敗、縁故主義といった負のバイアスを払拭できるかが最初の注目点になるだろう。[*7]
3. 今後の展望
選挙戦を大差で制したこと、国民的な人気があり、マルコス氏の次の大統領候補として有力視されるサラ氏を副大統領としたこと、上院選においてマルコス陣営に属する候補が多数当選したことは、[*8]新政権が求心力を発揮する上で大きな強みになると考えられる。
外交面では、マルコス氏は、ドゥテルテ大統領同様、中国との関係を重視する姿勢を示しているが、米国との関係に配慮も示しており、バランスと安定が期待できるとの見方もある。バイデン大統領は5月11日にマルコス氏と電話会談を行い、当選を祝い、米比同盟の強化、人権の尊重などに向け協力を期待すると発表した。[*9]マルコス氏は米国における裁判で罰金刑を課されており、訪米が困難な状況にあるとの指摘もある。[*10]もっともこの点については、ドゥテルテ大統領も就任後、一度も訪米していない(5月12日~13日にワシントンDCで開催された米・ASEAN特別首脳会議への出席も見送った)。日本との関係について、マルコス氏に目立った発言はないが、サラ氏は、父親同様、大の親日家として知られている。
また、ドゥテルテ政権は、増大するエネルギー需要と気候変動問題に対応すべく、原子力発電の導入を進める方針を示していたが、[*11]マルコス氏も原子力発電の活用に積極的な姿勢を見せている点が注目される。[*12]
ウクライナ情勢は、昨年からのサプライチェーンの混乱や資源価格の上昇に加え、世界各国でさらに物価を押し上げる要因となっており、フィリピンも例外ではないが(4月のCPI上昇率は前年同月比+4.9%に上昇)、それでもフィリピンに及ぶ影響は比較的小さいとみられており、IMFは4月に経済成長率を小幅に上方修正した(2022年は+6.3%から+6.5%とした)。従来の経済政策を継承し、安定した政権運営によって外国投資家の信頼を得ることで、新政権がフィリピンの高いポテンシャルを発揮させることが期待される。
以上
[*1] 5月12日時点の選挙管理委員会の非公式集計(開票率98.35%)によれば、マルコス、サラ両候補の得票率はそれぞれ58.8%、61.3%。大統領選の2位以下は、レニ・ロブレド副大統領28%、マニー・パッキャオ上院議員6.9%、イスコ・モレノ・マニラ市長3.6%(Rapplerのウェブサイトhttps://ph.rappler.com/elections/2022/races/president-vice-president/results. 参照)。正式結果は5月下旬に確定する。
[*2] 2004年には同じ陣営の候補が就任したが(大統領と副大統領はアロヨとカストロ)、2010年と2016年には異なる陣営の候補が就任した(大統領と副大統領はそれぞれアキノとビナイ、ドゥテルテとロブレド)。
[*3] マルコス候補のフェイスブックのフォロワー数は660万人を超え、TikTokではマルコス候補を支持する動画が流行した。Chad De Guzman, “A Dictator’s Son Rewrites History on TikTok in His Bid to Become the Philippines’ Next President,” Time, May 5, 2022, https://time.com/6173757/bongbong-marcos-tiktok-philippines-election/. 参照。
[*4] 貧困層のマルコス時代への郷愁については、日下渉 (2013), 反市民の政治学:フィリピンの民主主義と道徳, 124-129, 法政大学出版局 参照。またドゥテルテ大統領は、マルコス元大統領は独裁者にならなければ「最高の大統領だった」と讃えており、在任中(2016年12月)に同元大統領の英雄墓地への埋葬を実現させた。
[*5] サラ氏は当初、世論調査でトップの人気を誇り、大統領選の最有力候補とみられていたが、出馬を見送った。まだ43歳ということもあり、2028年大統領選を狙っているとみられる。また、マルコス元大統領はハワイに亡命してから3年後の1989年に病死したが、イメルダ夫人は1991年に帰国し、脱税や横領の罪を問われるも、最終的に無罪となり、1995年に下院議員に当選。息子のマルコス氏も1992年から下院議員、北イロコス州知事、下院議員を歴任、娘のアイミー氏らも同州知事や上院議員に当選。このようにマルコス一族は地盤である北イロコス州では早くから復権を果たしていた。
[*6] 2022年の実質GDP成長率の政府目標は+7~9%、IMFの見通し(2022年4月のWorld Economic Outlook)は+6.5%。
[*7] ドゥテルテ大統領は、ペルニア国家経済開発庁長官、ドミンゲス財務長官、ツガデ運輸長官、ロペス貿易産業長官ら専門家や経験豊かな実業家を要職に起用し、政権の経済政策は専門家や実業界からおおむね高い評価を得ていた。
[*8] 上院選では改選12議席(定数24議席)のうちマルコス陣営の候補者は6人当選した。なおドゥテルテ大統領の批判の急先鋒だったレイラ・デリマ上院議員は落選した。
[*9] The White House, Readout of President Biden’s Call with Philippine President-Elect Ferdinand Marcos Jr., May 11, 2022, https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2022/05/11/readout-of-president-bidens-call-with-philippine-president-elect-ferdinand-marcos-jr/. なお、中国の習近平国家主席もマルコス氏、王岐山国家副主席がサラ氏と電話会談を行っている。中国外交部, 习近平向菲律宾当选总统马科斯致贺电, 2022年5月12日, https://www.mfa.gov.cn/zyxw/202205/t20220512_10684901.shtml. 参照。
[*10] 2011年にハワイの米連邦地裁がマルコス氏と母イメルダ氏に対し、マルコス元大統領の遺産の保全を求める判決に従わなかったことが法廷侮辱罪にあたるとして、3億5,360万ドルの罰金を課した(2012年に第9巡回区控訴裁判所が判決を支持)。これによってマルコス氏が訪米することは事実上困難になっている。なお、1995年にマルコス元大統領の人権侵害を理由に20億ドルの損害賠償を命じる判決も言い渡されたが、2017年にフィリピンの裁判所が管轄権の欠如を理由に強制執行の申し立てを打ち切っている。Lian Buan, "Marcos Jr. continues to evade $353-million contempt judgment of US court," Rappler, January 13, 2022, https://www.rappler.com/nation/bongbong-marcos-evades-millions-dollars-contempt-judgment-united-states/. 参照。また、カート・キャンベル米国家安全保障会議(NSC)インド太平洋調整官は、「歴史的な考慮により、少なくとも当初はコミュニケーションに課題があるだろう」と発言している。David Brunnstrom and Michael Martina, "U.S. sees early 'challenges' dealing with new Philippines administration," Reuters, May 12, 2022, https://www.reuters.com/world/us-sees-early-challenges-dealing-with-new-philippines-administration-2022-05-11/. 参照。
[*11] 2022年2月、ドゥテルテ大統領は原子力発電を既存の電源構成に含めて導入を促進する大統領令に署名した。
[*12] マルコス政権時代の1984年にバターン原発が建設されたが、その後の政権崩壊やチェルノブイリ原発事故が影響し、一度も運転されていない。ドゥテルテ大統領は2月に原子力発電を既存の電源構成に含めて導入を促進していく大統領令に署名したが、同大統領令にはバターン原発の活用も検討するとの記載がある。マルコス氏も同原発の利用を再検討するとの考えであると同氏のアドバイザーが述べたと報じられている。Cathrine Gonzales, “Bongbong Marcos to revisit Bataan nuclear power plant, OPSF — adviser,” Inquirere.net, February 19, 2022, https://newsinfo.inquirer.net/1556975/bongbong-marcos-to-revisit-bataan-nuclear-power-plant-opsf-adviser. 参照。
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