バングラデシュの政治経済情勢:2024年初頭の総選挙に向けて
2022年11月28日
住友商事グローバルリサーチ 国際部
石井 順也
2022年11月25日執筆
概要
- バングラデシュでは次期総選挙が2023年12月または2024年初頭に行われる予定である。選挙体制については、有力野党のBNPが選挙に参加しない可能性を含め不透明な点はあるが、現時点では、与党アワミ連盟が勝利し、2009年から続くハシナ政権が続投する可能性が高いという見方が有力である。一方、足元ではインフレが国民生活に打撃を与え、長期支配への反発もあり、ハシナ政権も以前ほど盤石とはいえないとの指摘もある。反対派の抗議活動など今後の選挙をめぐる動きに注視が必要である。
- バングラデシュの政治は、2009年までは二大政党の対立が激しく、ときとして暴力的な衝突に及び、安定した長期政権が実現しないため政策の一貫性も欠ける面があったが、同年以降は、ハシナ政権が強力な権力基盤を背景に、安定した統治を続け、インフラ強化、産業多様化、投資促進を推進するなど、一貫した成長戦略を推進するようになった。新型コロナウイルスの感染拡大前の実質GDP成長率は2010年度(2010年7月~2011年6月)から+6~7%の水準を維持し、2020年度時点で名目GDPは4,163億ドル、1人当たりGDPは2,498ドルに達した。2026年に後発開発途上国(LDC)を卒業する見込みである。
- 2020年度の実質GDP成長率は+5.4%、2021年度は+7.3%(暫定値)とコロナ前の水準に回復した。今後、インフレの高進と外需の減退が懸念されるが、2022年度も+6%台と安定的な成長が見込まれる。2022年第2四半期から外貨準備が減少し、11月9日にIMFから45億ドルの支援を得る暫定合意に至ったが、外貨準備高と対外債務残高は懸念される水準にはなく、IMFの支援は、マクロ経済の安定と気候変動対策を目的とした予防的・計画的措置と位置付けられるものである。
- 今後の課題は産業の高度化と多角化だが、その実現のためには、インフラの整備をはじめ投資環境の改善と外資導入の促進が求められる。この点で、2022年12月に操業を開始する初の日系工業団地である「バングラデシュ経済特区(BSEZ)」が重要な役割を果たすことが期待される。バングラデシュはインドと東南アジアの結節点にあり、近年、日米のインド太平洋戦略や中国の一帯一路構想もあり、地政学的にも注目度が高まっている。こうした国際環境も生かしつつ、2024年初頭の総選挙後も一貫した成長戦略が続けられれば、世界で最も有望な新興国の一つと評価される可能性は十分にある。
1. 政治
バングラデシュでは2008年、2014年、2018年の総選挙でアワミ連盟が圧勝し、シェイク・ハシナ総裁が2009年から3期連続で首相を務めている。次期総選挙は2023年12月または2024年初頭に予定されている。有力野党のバングラデシュ民族主義党(BNP)は選挙管理内閣下での総選挙の実施などをハシナ政権に要求しているが、ハシナ政権との間で合意が実現する見込みは定かではなく、2014年の総選挙のようにBNPがボイコットする可能性も十分にある。【*1】その場合、アワミ連盟が再び圧勝し、ハシナ政権は4期目に入ると予想される。【*2】
仮にBNPが総選挙に参加しても、アワミ連盟が優勢という見方が有力である。なぜなら、ハシナ政権は3期にわたる統治において、高い経済成長と治安の改善を実現し、国民からおおむね高い評価を得ている。一方、BNPは、長年にわたり政権を担えておらず、カレダ・ジア総裁(元首相)は、2018年2月に汚職の罪で実刑判決を受け収監された。2020年3月、健康上の理由により刑の執行が一時的に停止され、海外渡航の禁止を条件に釈放されたが、ジア総裁は体調の悪化が懸念され、他の党幹部も拘束されている。こうした状況のため、BNPの党勢回復は難しいとみられている。
他方、足元ではインフレが高進しており、国民の生活に深刻な影響が及べば、国民の不満が高まり、ハシナ政権への支持が低下する可能性がある。事実上の一党支配の下、反対派を強権的に抑えつけるハシナ政権の統治手法に対しては、国内外で批判する声もある。今後、ハシナ政権が選挙の公正にも配慮しつつ、BNPとの交渉を経て、どのような選挙体制を整備するかが注目される。両者の駆け引きの中で、BNP支持者が抗議デモを行うことも予想されるが、こうした活動が過激化し、暴力的な事態に発展する可能性がある点にも注視が必要である。
2016年7月、ダッカで武装グループが日本人7人を含む民間人20人を殺害した。「イスラム国」の影響を受けたイスラム過激派組織による犯行とみられている。ハシナ首相は過激派の摘発に全力で取り組み、テロ関連死者数は2016年以降減少、民間人の死者数は2020年にゼロになった。2019年10月、日本の外務省はダッカ管区とチョットグラム丘陵地帯を除く全土の危険情報をレベル1(十分注意して下さい)に引き下げた。2021年11月、ダッカ管区もレベル1に引き下げた。
2. 外交
(1)インド
インドとバングラデシュは歴史的に関係が深く、政治経済両面で多くの懸案事項が存在するが、伝統的に親インド路線を採るアワミ連盟の政権下で協力的な関係が進展している。2015年6月、インドのモディ首相の訪問時に、独立以来の課題であった飛び地の交換について合意が実現した(同年8月に実施)。2021年3月、モディ首相が独立50周年記念式典に出席するためにバングラデシュを訪問し、ハシナ首相と会談、両首脳は緊密な関係をアピールした。一方、訪問中にヒンドゥー教徒との衝突事件が起こり、国民の複雑な感情が露呈された。
(2)中国
中国はバングラデシュにとって最大の輸入相手国。中国は、一帯一路の6大経済回廊の一つとして「バングラデシュ・中国・インド・ミャンマー(BCIM)経済回廊」を掲げている。アジアインフラ投資銀行(AIIB)創設後の第1号案件はバングラデシュの送電線敷設事業への融資だった。2016年10月、習近平国家主席が初めてバングラデシュを公式訪問し、ハシナ首相と会談、中バ関係を「戦略的協力パートナーシップ」に格上げし、200億ドルの投融資を約束した。2019年7月、ハシナ首相が中国を公式訪問し、習主席と会談してプロジェクト実施の迅速化を要請した。中国の海外直接投資残高は電力分野への投資により近年急増している(2022年1月末時点で3位)。新型コロナウイルスの感染拡大後、中国はワクチン外交を熱心に展開し、2021年8月、中国のシノファーム社とバングラデシュ政府が国内でのワクチン生産で合意した。
(3)欧米
欧米諸国にとってバングラデシュは衣料品製造の主要なアウトソーシング先である。しかし衣料品工場における劣悪な労働環境が問題視され、米国は2013年に一般特恵関税制度(GSP)の適用を一時停止した。EUも2017年にGSP(EBA協定)の優遇対象から外す可能性を示唆し、2018年の報告書でも労働者の権利保護が不十分であると警告した。これに対し、バングラデシュ政府は、労働環境の改善を目指す国家行動計画(NAP)を策定し、実行に移している。一方、2021年12月に米国が主催した「民主主義サミット」にバングラデシュは招待されなかった(南アジアでは、インド、パキスタン、ネパールが招待された)。
(4)ロシア
バングラデシュはロシアとの間で、ソ連時代から良好な関係を築いているが、近年、特に原子力発電所建設で協力が進んでいる。2015年12月にバングラデシュ初となるルプール原子力発電所の建設に関する契約を調印した(1号機は2023年までに、2号機は2024年に完成予定だったが、進捗が遅れている)。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻に対してはロシアを非難することなく、中立的な立場をとっている(ロシアを非難する4つの国連総会決議(ES-11/1、2、3、4)については、ES-11/2(ウクライナの人道状況の改善)とES-11/4(ロシアによるウクライナ4州の併合の無効)に賛成したが、それ以外は棄権した)。
(5)ミャンマー
2016年10月に行われたミャンマー国軍によるラカイン州でのイスラム過激派掃討作戦以後、「ロヒンギャ」難民がバングラデシュに流入した。バングラデシュ政府はミャンマー政府に対し難民の引き取りを要請し、2018年1月、両政府は2年以内に帰還完了を目指すことで合意した。しかし帰還の実施は、難民側の拒否もあり、今なお実現していない。2021年2月、ミャンマーでクーデターが発生すると、バングラデシュ政府は新たな難民の流入を防ぐために国境警備を強化する一方、クーデターには内政問題として干渉しない立場をとった。
(6)日本
日本はバングラデシュにとって最大のODA供与国であり(2014年にマタバリ石炭火力発電事業について調印)、日本にとってバングラデシュは2020年度の最大のODA供与先である。2019年5月、ハシナ首相が訪日し、日・バ首脳は包括的なパートナーシップに関する文書を発出した。2022年4月、モメン外相が訪日して林外相と会談した。両国は「ベンガル湾産業成長地帯(BIG-B)」構想の下での各種インフラプロジェクトを含め、引き続き協力を進めていくことを確認した。
3. 経済
(1)足元の状況
ハシナ政権は2021年(独立50周年)までの中所得国入りを目指す政策「ビジョン2021」を掲げ、インフラ強化、産業多様化、投資促進、ガバナンス強化、貧困撲滅、保健・教育、防災などの課題に取り組んでいる。2021年2月に後発開発途上国(LDC)リストからの「卒業」の基準を満たし、11月の国連総会で正式に卒業が承認された。今後、移行期間を経て2026年11月にLDCを卒業する予定である。
実質GDP成長率は2010年度(2010年7月~2011年6月)から+6~7%台の成長を続け、2018年度の実質GDP成長率は前年度比+7.9%に上った。2019年度は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で+3.5%に鈍化したが、他の多くの国々がマイナス成長に陥る中、プラス成長を維持した。縫製品輸出の復調により、2020年度は+5.4%に回復し、2021年度は+7.3%(暫定値)とコロナ前の水準に達した。2022年1月からオミクロン株の感染が拡大したが、2月下旬から感染状況は改善し、経済活動の再開は継続した(11月時点で1日あたり新規感染者数は100人程度で推移)。成長を妨げる要因になるのはインフレの高進と外需の減退である。CPI上昇率は新型コロナの影響によるサプライチェーンの混乱から上昇し、2021年10月から中銀のインフレ目標値(+5.6%)を上回って推移しており、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻後は、さらなる資源と食料品価格の上昇、通貨タカ安の進行を受けてさらに高進、8月からは9%台に達している。中銀は2022年4月、5月、7月に政策金利(レポレート)を合計0.75%引き下げ5.5%とした。こうした中で、IMFは2022年度の実質GDP成長率の見通しを+6.0%として、成長の鈍化を予想している。とはいえ多くの新興国の成長の減速と比べればなお高い水準を維持しており、長期的にも+6%台の安定的な発展が見込まれている。
2020年3月以降、政府は新型コロナの感染拡大を受けて合計1.2兆タカ(GDP比4.3%)規模の経済対策を発表し、2021年には低所得者層向けの現金給付を実施した。このため財政赤字は拡大し、2022年度予算案の財政赤字(GDP比)は5.5%に達した。対外債務残高も近年急増しており、2022年7月末時点で959億ドルに達した。とはいえGDP比は23%程度となお比較的低水準であり、国際機関からの借入が6割を占め(二国間では日本が最大)、主にインフラ開発のための融資が拡大した結果とみられる。
経常収支は、貿易収支、サービス収支などの赤字を第二次所得収支の黒字(主に海外労働者送金)が補う構図にある。新型コロナの影響で輸出と海外労働者送金が減少したが、その後回復し、2020年度の経常赤字はGDP比1.1%に縮小した。しかし、2021年から資源価格が高騰し、貿易赤字が悪化したことで、経常赤字は再び拡大し、GDP比4.1%に上った。さらに、通貨タカ安が進行し、為替介入もあって、外貨準備の減少が続いた。特に2022年に入ってからは、先進国の利上げによるタカ安の進行、ロシアのウクライナ侵攻を受けての資源価格の高騰などから減少が加速した。2021年8月時点には446億ドルあった外貨準備高は2022年9月時点で365億ドル(輸入の約5か月分)まで減少した。
外貨準備の減少を受け、政府は輸入抑制策をとるとともに、IMFに支援を要請した。ダッカでの協議を経て、バングラデシュ政府とIMFは、11月9日、45億ドルの金融支援(拡大クレジットファシリティ(ECF)と拡大信用供与(EFF)の32億ドルとレジリエンス・サステナビリティ・ファシリティ(RSF)の13億ドルの42か月間のアレンジメント)で実務者レベルの暫定合意に達した。もっとも、外貨準備高は減少しているとはいえ、危機的な水準からは遠く、前述のとおり対外債務残高も低い水準にある。IMFは、新型コロナの感染拡大からの経済回復がロシアのウクライナ戦争によって妨げられ、経常赤字の拡大、外貨準備の減少、インフレの高進、成長の鈍化に至ったと指摘し、マクロ経済の安定と気候変動対策のために支援を行うと発表している。つまりIMFの支援は、財政危機への対応ではなく、予防的・計画的措置と位置付けられるものである。同じ南アジアということで、外貨不足と財政難に陥り、同様の枠組みのIMF支援を受けているスリランカやパキスタンとともに取り上げる報道もあるが、これらの国々とは同列に論じえないだろう。
(2)今後の展望
バングラデシュは1億6,657万人を擁する世界8位の人口大国であり(2020年度)、平均年齢は27.6歳と若年層が多く、人口ボーナス期は2055年まで続く見込みである。人件費はアジア新興国の中でも最も低い水準にあり、製造拠点としての潜在的競争力は高い。2009年までは二大政党の対立が激しく、ときとして暴力的な衝突に及び、安定した長期政権が実現しないため政策の一貫性も欠ける面があったが、同年以降は、ハシナ政権が強力な権力基盤を背景に、安定した統治を続け、インフラ強化、産業多様化、投資促進を推進するなど、一貫した成長戦略を推進するようになった。2010年度から2018年度までの実質GDP成長率は+6~7%の水準を維持し、2020年度時点で名目GDPは4,163億ドル、1人当たりGDPは2,498ドルに達した(IMF)。海外直接投資も拡大を続けており、2021年12月末時点の直接投資残高は216億ドルに達した(前年比+11%)。今後も、主要な成長のドライバーである縫製品輸出と海外労働者送金に支えられ、堅調な成長を続けることが見込まれる。
今後の主な課題は、縫製品の欧米市場への輸出への過度な依存である。その最大の強みである豊富な労働力を生かすべく、工業製品の製造業のように、大きな雇用を生み出し、高い付加価値を提供する産業を育成すること(産業の多角化と高度化)が求められる。そのためには、インフラ整備をはじめ投資環境を改善し、外資の導入を促進することが必要になる。バングラデシュのインフラは高度な製造業を支えるにはまだ十分ではなく、海外直接投資は前述のとおり拡大を続けているとはいえ、2021年12月末時点でGDP比5%程度にとどまる。この点で、2022年12月に操業を開始する初の日系工業団地である「バングラデシュ経済特区(BSEZ)」が重要な役割を果たすことが期待される。JETROによれば、2022年9月時点で日系企業は繊維業、軽工業を中心に338社進出しているが、筆者の現地日系企業へのインタビューによれば、製造工程をもつ企業は60社に上る(2018年にホンダが二輪車の生産を開始した)。今後、重工業や建設業などの分野での進出が期待される。2026年にLDCを卒業することで欧米のGSPの対象外になることもあり、自由貿易協定(FTA)などによる経済連携の強化も課題となる。
バングラデシュはインドと東南アジアの結節点という要衝にあり、近年、日米のインド太平洋戦略や中国の一帯一路構想もあり、地政学的にも注目度が高まっている。特に近年、中国は経済分野を中心に積極的に協力強化を図り、日本政府もODAを通じた支援を強化している。こうした国際環境も生かしつつ、2023年12月ないし2024年初頭の総選挙後も一貫した成長戦略が続けられれば、世界で最も有望な新興国の一つと評価される可能性は十分にある。
以上
[*1] 選挙管理内閣は、選挙の公正を保証するために1996年の憲法改正で導入されたバングラ独自の制度で、ハシナ政権の主導により、2011年に憲法改正が行われたことで廃止された。BNPは選挙管理内閣下での総選挙の実施をハシナ政権に要求したが、両者は合意に至らず、BNPは2013年の総選挙をボイコットした。2018年の総選挙には野党連合として参加したが、わずか7議席しか獲得できなかった。
[*2] ハシナ首相は75歳と高齢であり、もし政権が4期目に入れば、後継者問題が顕在化することになる。アワミ連盟とBNPはいずれも創立者一族が総裁を務めてきたが、現時点で双方とも後継者は明らかにされていない。
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