ベトナムの政治経済情勢:トゥオン国家主席の辞任
調査レポート
2024年04月18日
住友商事グローバルリサーチ 国際部
石井 順也
2024年4月11日執筆
概要
- 2024年3月、ベトナムのボー・バン・トゥオン国家主席がベトナム共産党の規則違反を理由に突然辞任した。トゥオン氏の前任であるグエン・スアン・フック元国家主席も2023年1月に多数の政府高官が汚職に関わった責任を取って辞任しており、国家元首が2年連続で辞任する異例の事態となった。トゥオン氏が勤務した地方省市の幹部が収賄の容疑で相次ぎ逮捕されたことと関係があるとみられているが、グエン・フー・チョン書記長の後任をめぐる政争が背景にあるとも言われ、トゥオン氏はチョン書記長の不興を買って排除されたとの見方もある。後任の国家主席候補にはトー・ラム公安相とチュオン・ティ・マイ書記局常務兼中央組織委員長の名前が挙がっている。国家主席は基本的に儀礼的な役職であり、政策面で直接的な影響が及ぶことはないと考えられるが、チョン書記長が79歳と高齢の上、健康状態が不安視され、2026年の次期党大会前に退任する可能性もある中、今回の国家主席の辞任は後継者争いの激化と政治環境の不安定を示唆しているとの見方もある。
- ベトナムは中国との間では、南シナ海の領有権問題をめぐって対立しながら、ハイレベルの交流は続いており、経済面では引き続き緊密な関係にある。米国と日本とは、中国への対抗も念頭に、政治経済両面で関係強化を続け、2023年に両国との関係は「包括的戦略パートナーシップ」に格上げされた。
- 2023年の実質GDP成長率は前年比+5.05%となり、前年(同+8%)から減速した。世界経済の減速に伴う輸出の落ち込みが大きかったが、1~3月期の前年同期比+3.41%を底に、輸出の回復を受けて成長率は加速を続け、10~12月期は同+6.72%に上った。2024年1~3月期は同+5.66%と4期ぶりに減速したが、輸出の好調は続いている。今後も輸出の拡大が見込まれ、海外直接投資の拡大等も続き、堅調な成長を続けるだろう。2024年の見通しは政府目標+6.0~6.5%、IMF+5.8%である。
1. 政治:トゥオン国家主席の辞任
2024年3月20日、ベトナム共産党は臨時の中央委員会総会を開催し、ボー・バン・トゥオン国家主席(当時)の辞任の申し出を承認した。トゥオン氏は党規則に違反したことを党中央検査委員会に認定され、同氏から「党や国家、自身の評判を傷つけた」として辞職を申し出たという。翌21日、臨時国会が開催され、正式に辞任が承認された。国家主席の職務は正式な後任が決まるまでボー・ティ・アイン・スアン国家副主席が代行する。トゥオン氏の前任であるグエン・スアン・フック元国家主席も2023年1月に多数の政府高官が汚職に関わった責任を取って辞任しており[*1]、国家元首が2年連続で辞任する異例の事態となった。
トゥオン氏は一貫して党内部で経歴を重ねてきた理論派で、最高指導者であるグエン・フー・チョン書記長に近く、将来の書記長候補とみられていたが、わずか1年で辞任に追い込まれた。党規則違反の詳細は明らかになっていないが、2024年2月に不動産開発フックソン・グループの会長が不正会計等の容疑で逮捕された事件に絡み、トゥオン氏が勤務した地方省市の幹部が収賄の容疑で相次ぎ逮捕されたことと関係があるとみられている。一方、チョン書記長の後任をめぐる政争が背景にあるとも言われ、トゥオン氏はチョン書記長の不興を買って排除された(チョン書記長の独裁的な権力があらためて示された)との見方もある。
後任の国家主席候補にはトー・ラム公安相とチュオン・ティ・マイ書記局常務兼中央組織委員長の名前が挙がっている。トー・ラム氏が選ばれれば、ファン・ミン・チン首相とともに四柱(ベトナム共産党内序列最上位4名で、1位から順に党書記長、国家主席、首相、国会議長を務めるのが通例)に公安出身者が2人入ることになる。マイ氏が選ばれれば、女性初の国家主席となる。
国家主席は基本的に儀礼的な役職であり、政策面で直接的な影響が及ぶことはないと考えられる。しかしチョン書記長が79歳と高齢の上、健康状態が不安視され、2026年の次期党大会前に退任する可能性もある中、今回の国家主席の辞任は後継者争いの激化と政治環境の不安定を示唆しているとの見方もある[*2]。貿易・投資の促進を重視するベトナムの経済政策が変わることはないが、改革のペースが鈍り、投資家に不安を与える可能性がある。
2. 外交:中国との複雑な関係、米国との関係強化
(1)中国
中国とは南シナ海での領有権をめぐる対立が続いている。中国は毎年夏季に南シナ海のほぼ全域で漁獲を禁止し、南沙諸島で岩礁を埋め立てて人工島を建設している。ベトナムはこれを主権の侵害として抗議し、南沙諸島での埋め立てを進めている。一方、共産党同士の交流を中心に両国のハイレベルの要人往来は続いている。2023年12月、習近平国家主席が約6年ぶりに訪越し、両国は「戦略的意義のある共同体」を構築することで合意した。同年は両国の包括的戦略パートナーシップ樹立15周年にあたるが、米国と日本もベトナムとの関係を同パートナーシップに格上げしたことを受け(後述)、中国としてはさらなる関係の格上げを目指したとみられる。
経済面での関係は深く、中国はベトナムにとって最大の貿易相手国である。ベトナムの対中貿易赤字が続いているが、中国からベトナムへの生産移管の進展がベトナムの中国からの原材料・部品の輸入をさらに増加させている。2023年12月に習近平国家主席が訪越した際には、中国の「一帯一路」とベトナムと中国をつなぐ鉄道整備計画を連結することが合意された。
(2)米国
1995年の国交正常化以降、ベトナムと米国の関係は緊密化している。2016年、米国はベトナムへの武器輸出を全面解除した。経済面でも、米国はベトナムにとって最大の輸出相手国である(主要輸出品は縫製品)。一方、トランプ政権(当時)では米国の対ベトナム貿易赤字が問題視され、2019年5月と2020年1月の為替報告書で為替監視国、2020年12月の報告書で為替操作国に指定された。バイデン政権発足後の2021年4月の報告書から為替操作国の指定が外され、2022年11月の報告書では監視リストからも外されたが、2023年11月の報告書では監視リストに加えられた。2022年5⽉、ベトナムは米国が主導するインド太平洋経済枠組み(IPEF)に発足時から参加した。
2023年9月、バイデン大統領が訪越し、両国は関係を「包括的戦略パートナーシップ」に格上げすることで合意し、貿易促進や半導体分野を中心に連携を強化するとした[*3]。同月、チン首相が国連総会出席のため訪米し、イエレン財務長官やレモンド商務長官と会談したが、同商務長官はベトナムを「市場経済国」として認定する手続きを進める方針を表明した。
(3)韓国
ベトナムと韓国の関係は主に経済面で緊密化している。2009年頃からサムスン電子はじめ多くの韓国企業が進出し、2015年12月には韓国との自由貿易協定(VKFTA)が発効した。近年はベトナムの輸出額の約2割をサムスン電子の製品が占めている。IT、飲食、金融といった分野での投資も進んでおり、若年層を中心にベトナムでは韓国文化の人気も高まっている。2023年6月、尹錫悦大統領が訪越し、チョン書記長らと会談した。
(4)ASEAN
ベトナムは1995年にASEANに加盟した。南シナ海の領有権問題をめぐっては、中国に強硬的な態度で臨むベトナムとカンボジアなど融和的な国々との間で温度差があり、ASEAN首脳会議の共同宣言の採択などにおいて議論が生じている。2015年12月末にASEAN経済共同体(AEC)が発足し、2018年1月、ベトナムを含む後発4か国(CLMV)の関税も撤廃された。一方、完成車輸入については、許可証や規制等の非関税障壁で事実上制限している。
(5)欧州
EUはベトナムにとって米国、中国、韓国、日本と並ぶ主要な輸出相手先である(主要輸出品は縫製品)。2020年8月、EUとのFTA(EVFTA)が発効した。
(6)ロシア
旧ソ連時代からベトナムとロシアは政治経済社会面において緊密な関係にある。ベトナムは兵器の8割以上をロシアからの輸入に頼っている。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻に対してはロシアを非難することはなく、融和的な立場をとっている。同年7月、ロシアのラブロフ外相がベトナムを訪問し、両国はさらなる関係強化を追求することで一致した。同年10月、ロシアによるウクライナ4州の併合を無効とする国連総会決議が賛成143か国で採択された際、ベトナムは棄権した(棄権したのは35か国だった)。
(7)日本
日本は米中に次ぐ第3位の輸出相手国である(対日貿易黒字が続いている)。2023年5月、トゥオン国家主席(当時)が訪日し、チン首相がG7広島サミットに出席するため訪日し、両国は関係を「包括的戦略パートナーシップ」に格上げすることで合意した。また日本の政府安全保障能力強化支援(OSA)の適用に向けた議論開始で合意した。2024年3月、新しい日越共同イニシアティブのキックオフ会合がハノイで開催された。
3. 経済:輸出の回復
2021年1月の党大会では、2025年(南北統一50周年)までに近代的工業を有する発展途上国として下位中所得国を脱し、2030年(党設立100周年)までに上位中所得国となり、2045年(建国100周年)までに高所得国を目指すという中長期目標が発表された。2023年1月、臨時国会が開催され、「2050年を見据えた2021~2030年の国家基本計画」が承認され、2050年までに高所得国を目指すとされた。
2023年の実質GDP成長率は前年比+5.05%となり、前年(同+8.0%)から減速した。世界経済の減速に伴う輸出の落ち込みが大きかったが、1~3月期の前年同期比+3.41%を底に、輸出の回復を受けて成長率は加速を続け、10~12月期は同+6.72%に上った(下図参照)。
2024年1~3月期は同+5.66%と4期ぶりに減速したが、輸出の好調は続いている(同+18%)。今後も輸出の拡大が見込まれ、後述するように物価の安定や海外直接投資の拡大も続き、堅調な成長を続けるだろう。2024年の見通しは政府目標+6.0~6.5%、IMF+5.8%である。
経常収支は2021年に17年ぶりの赤字(41億ドル)となったが、2022年7~9月期から貿易黒字の拡大を主因に経常収支は黒字化し、2022年は赤字幅が縮小し(10億ドル)、2023年は26億ドルの黒字となった。
消費者物価(CPI)上昇率は2023年1月に前年同月比+4.9%まで上昇し、政府目標(+4.0~4.5%)を上回ったが、その後、燃料価格の下落により沈静化した。2024年1~3月期は前年同期比+3.8%だった。
中銀は2022年9~10月に主要政策金利であるディスカウントレートを計2%引き上げて4.5%としたが、2023年3月と6月、インフレの抑制と経済成長の鈍化を考慮し、計1.5%引き下げて3.0%とした。
通貨ドンの対ドル為替レート(2016年から中心レートを基準に取引バンドの上下限を±3%に設定)は2022年3月の米国の利上げ以降も比較的堅調に推移してきたが、中銀が5月に想定レートを4か月ぶりに引き下げてから下落基調になった。中銀は5月から10月にかけてドン相場のレートの下限を6回切り下げた。10月にはドンとドルの取引バンドの上下限を±5%に拡大した。2023年に入ってから前述のとおり利下げを行ったことで米国との金利差が拡大し、ドン安が進んでいる。
外貨準備高は2021年に1,074億ドルに達し、過去最高額となったが、2022年は為替介入のため減少し、847億ドルに減少した。2023年に入ってからは為替の安定により増加傾向になり、同年11月時点で872億ドルとなった。
財政赤字は2023年度予算でGDP比4.4%、2024年度予算で同3.6%だった2022年末の公的債務のGDP比は38%と前年末(43%)から大きく改善し、公的債務管理法で定める上限の60%を大きく下回っている。
2023年の海外直接投資の認可額は367億ドル(前年比+321%)に上った。2020年以降で最大だった。
2023年5月、第8次国家電力開発基本計画(PDP8)が決定され、再エネ比率を2020年の25.3%から2030年に30.9~39.2%、2050年に70%前後とする目標を掲げた。一方、電力不足が深刻な問題となっており、政府はLNG火力発電とLNG受け入れ価値の建設を進め、PDP8でも2020年でゼロだったLNG火力を15%に引き上げるとしている。
近年、政府は気候変動対策に力を入れており、2022年12月、日本を含む支援国グループと「公正なエネルギー移行パートナーシップ(JETP)」に合意した。JETPは、⾼排出インフラの早期退役の加速化と再エネおよび関連インフラへの投資のための⽀援をドナー国が連携し実施するパートナーシップで、今後3〜5年間で155億ドルの⽀援が予定されている。
以上
[*1] 石井順也「ベトナムの政治経済情勢:フック国家主席の辞任」(住友商事グローバルリサーチ調査レポート、2023年2月7日https://www.scgr.co.jp/report/survey/2023020758509/)参照
[*2] 次期書記長候補としてはブオン・ディン・フエ国会議長が有力視されているが、最近、汚職の疑惑が噂されており、不透明さが増している。
[*3] ベトナムは外交関係を「包括的戦略」「戦略的」「包括的」の原則3段階のパートナーシップで格付けしており、最上位の包括的戦略パートナーは、これまで中国、ロシア、インド、韓国の4か国だった(米国と日本が加わり6か国に)。
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