中東和平に関する経済ワークショップの開催
ホット・トピックス
2019年07月01日
住友商事グローバルリサーチ 国際部
広瀬 真司
はじめに
6月25日、26日に、ペルシャ湾岸の小国バーレーンで開催されたイスラエルとパレスチナの和平のための経済ワークショップについて解説する。
1.「繁栄に向けた和平」ワークショップ概要
6月25日から2日間にわたり米国政府主催で開かれた「繁栄に向けた和平」と名付けられたワークショップ(会議)では、トランプ大統領の娘婿であるクシュナー大統領上級顧問が2年前から考案してきた、新たな中東和平案の第1弾「経済部分」が発表された。経済部分とはつまり、パレスチナ自治区とパレスチナ難民を受け入れている周辺国に対する経済支援のことで、クシュナー氏は会議の冒頭、今後10年間で約500億ドルを同地域に投資する計画を発表した。
同計画は、約500億ドルの投資によってインフラなどさまざまなプロジェクトを実施し、パレスチナ自治区のGDPを倍以上に拡大、100万人の雇用を生み出すことで、失業率を1桁台に低下させ、貧困率を半減するというものである。500億ドルのうち純粋な経済援助は約130億ドルで、残りは融資や民間企業による投資を見込んでいる。また【図表1】に示した通り、支援の約半分はパレスチナ自治区、残りの約半分は周辺3か国に分配する計画である。
しかし、この計画の大きな問題は、この500億ドルを誰が負担するのか明確になっていないことである。米国はサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)などの湾岸のアラブ産油国がこれらの資金を負担することを期待し、クシュナー氏はこれまでサウジのムハンマド皇太子などと裏で交渉を重ねてきた。湾岸諸国はこれまでもパレスチナ支援を行っておりこの計画での支援も期待されているが、現時点で具体的な資金拠出の発表はしていない。
パレスチナ自治政府は、会議開催の発表後すぐ、参加ボイコットを発表した。パレスチナ自治政府は、1967年以前の境界を国境とし東エルサレムを首都とするパレスチナの独立国家を樹立する「二国家解決案」を望んでいるが、クシュナー氏はパレスチナ国家樹立には否定的だといわれており、パレスチナ自治政府は今回の会議が「パレスチナに国家樹立を諦めさせるための買収劇である」と非難している。会議の前後にパレスチナ人は、「パレスチナの土地は売り物ではない」というスローガンを掲げた風刺画をSNSに投稿するなどして会議に抗議。会議開催前からパレスチナ自治区やアラブ諸国では会議反対のデモが起き、またイラクの首都バグダッドでは、会議の開催国となったバーレーンの大使館が襲撃され、米国とイスラエルの国旗が燃やされる事態が起きた。
イスラエル政府も会議に参加しなかったが、イスラエル人のビジネスマンは参加した。バーレーンはいまだイスラエルと外交関係を持たないため、イスラエル人ビジネスマンがバーレーンで会議に参加することは異例のことだが、昨今イスラエルと湾岸諸国双方の政府間関係が緊密化しており、2018年下旬からイスラエル高官による湾岸諸国訪問が相次いだこともあり、衝撃はそれほど大きくなかったようだ。
パレスチナ自治政府が会議をボイコットする中、これまでパレスチナ側に立ってきたアラブ諸国が会議に出席するかどうかが注目された。イラクやレバノンは会議をボイコットしたが、クシュナー氏が会議前にアラブ諸国を外遊し参加を呼び掛けたこともあり、開催国のバーレーンに加えサウジやUAE、カタールなどは大臣級が出席、ヨルダンやエジプト、モロッコなどもさらに低いレベルではあったが会議に参加した。また、IMFのラガルド専務理事やソフトバンクグループの孫会長兼社長も会議に参加した。
2.解決困難な中東和平の政治的側面
今回の会議で、中東和平の政治的側面については、一切触れられなかった。政治的側面とはパレスチナ問題の最も難しく最も重要なところであり、聖地エルサレムの帰属問題、パレスチナ難民の帰還権の問題、イスラエルと将来のパレスチナ国家との国境線画定問題、それからパレスチナ自治区内に増え続けるイスラエル人の入植地の問題などが挙げられる。【図表2】に示したパレスチナの領土変遷にある通り、1967年の境界を基準にしたヨルダン川西岸地区の約6割は現在既にイスラエル政府が統治しており、当該地域のイスラエル化は着実に進み、解決をより困難にしている。
今回の会議でクシュナー氏は政治解決に言及しなかったが、トランプ政権のこれまでのパレスチナ問題への対応を見れば、そのイスラエル寄りの姿勢は明らかである。トランプ大統領は「エルサレムはイスラエルの首都である」と宣言し、テルアビブに設置していた大使館をエルサレムに移転した。またトランプ政権は、パレスチナ難民支援を担当する国連機関UNRWAへの拠出金を停止し、パレスチナ解放機構のワシントン事務所を閉鎖した。そして、2019年3月末には、イスラエルが第3次中東戦争で奪ったゴラン高原におけるイスラエルの主権を認めた。
パレスチナ自治政府が望んでいるのは独立国家の樹立であり、イスラエルによる占領統治下での生活改善ではない。国家樹立を含む政治解決無くして、いかなる和平案も受け入れられないというのがパレスチナ自治政府の立場である。クシュナー氏の中東和平案の第2弾「政治解決部分」の発表が待たれるが、2019年9月に実施されるイスラエル総選挙後の政権発足を待つようで、政権発足は早くても11月頃の予定である。しかしその頃、既に米国は大統領選挙キャンペーン真っ只中のため、再選への悪影響を考えて、トランプ大統領は政治解決案の発表を大統領選挙後まで先送りするのではないかともいわれている。
今回の経済ワークショップにどのような意味があったのか、判断するにはもう少し時間が必要だろう。
記事のご利用について:当記事は、住友商事グローバルリサーチ株式会社(以下、「当社」)が信頼できると判断した情報に基づいて作成しており、作成にあたっては細心の注意を払っておりますが、当社及び住友商事グループは、その情報の正確性、完全性、信頼性、安全性等において、いかなる保証もいたしません。当記事は、情報提供を目的として作成されたものであり、投資その他何らかの行動を勧誘するものではありません。また、当記事は筆者の見解に基づき作成されたものであり、当社及び住友商事グループの統一された見解ではありません。当記事の全部または一部を著作権法で認められる範囲を超えて無断で利用することはご遠慮ください。なお、当社は、予告なしに当記事の変更・削除等を行うことがあります。当サイト内の記事のご利用についての詳細は「サイトのご利用について」をご確認ください。
レポート・コラム
SCGRランキング
- 2024年11月2日(土)
『日本経済新聞』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行のコメントが掲載されました。 - 2024年11月1日(金)
金融ファクシミリ新聞・GM版に、当社シニアエコノミスト 片白 恵理子が寄稿しました。 - 2024年10月30日(水)
『日本経済新聞(電子版)』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行のコメントが掲載されました。 - 2024年10月23日(水)
5:45~7:05、テレビ東京『モーニングサテライト』に当社チーフエコノミスト 本間 隆行が出演しました。 - 2024年10月23日(水)
『東洋経済ONLINE』に、米州住友商事会社ワシントン事務所調査部長 渡辺 亮司のコラムが掲載されました。